Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

2020-11-27から1日間の記事一覧

共和制と洋学 『偉大なる道』第1巻③ー15

外国に征服されるという恐れと清朝への憎しみは大きくなるばかりで、あらゆる種類の風説は村から村へ見るまにひろがっていった。朱徳は西洋人を見たことがなかったが、旅の人たちが断言するには、ほとんどのものが毛むくじゃらの赤ら顔で、脚にはひざ関節が…

門戸開放政策 『偉大なる道』第1巻③ー14

朱将軍は当時のイギリス帝国主義には二派あったとつけ加えた。一つは中国を完全に分割してしまえと主張し、他は清朝を看板に出しておいて、その陰から全中国の貿易を支配しようというものであった。この「平和」的帝国主義の一派は頭をひねって、菓子を食べ…

列強による中国解体の恐怖 『偉大なる道』第1巻③ー13

1897年には、朱将軍は11歳になったばかりだったが、列強によって中国の解体と隷属化がおこなわれ、国土がいくつかの「勢力範囲」に分割されてゆくときの恐怖感を、今もまざまざと思いうかべることができる。率先して悪例をつくったのはドイツ人で、まず山東…

西洋列強と日本の台頭 『偉大なる道』第1巻③ー12

この老人の指導のもとに、四書五経と綱艦すなわち中国史概要と二十四史を修了した。生徒たちが本の勉強でうんざりすると、老人は彼らをさそって、一家の食料の一部を自給している小さな畑を散歩した。歩きながら彼は皇帝や将軍や官僚たちのことを辛辣に語り…

シ・ピン・アン先生の家塾に入学 『偉大なる道』第1巻③ー11

朱将軍はこういうできごとは飛ばしがちになり、むしろシ・ピン・アン先生の塾によって彼の前にひらかれた新世界について多く語ろうとした。塾は彼の家から3マイル(4.8キロ)ほど離れた老先生の家でひらかれていた。彼はこの距離を毎日早朝と夕刻に歩いた。 …

大湾の先祖の家 『偉大なる道』第1巻③ー10

朱将軍にとって、大湾はいつもよき思い出の土地だった。自然条件が他のどこよりもよかったというのではない。その小さな町が彼の家族が向上の一歩をとることを助けたという。 大湾の内外には8千人ほどが住んでいた。彼はそれまでにこんな大きな町を見たこと…

小作料の値上げと家族の分離 『偉大なる道』第1巻③ー9

朱家は借金はしなかったが、もはや無一物になっていた。ある日、丁家の家扶がやってきて、お前たちはかんばつのあいだ小作料を払わなかったので、旦那様も「困っておられる」から、今後は小作料を上げるといいわたした。一番上の伯父がひざまづいて、私たち…

飢えた農民の飢餓行進 『偉大なる道』第1巻③ー8

ある初夏の日に、丁の家族を山に送るために邸宅にこい、と朱家の男たちに呼出しがかかってきたが、そのときだれかが頭をあげて「変だ」とさけんだ。 老三はあやしい物音をきいた。はじめは、家の中でお産をしている母のところからだろうと思った。しかし、馬…

飢饉の思い出 『偉大なる道』第1巻③ー7

もうひとつの思い出の情景も、朱徳が丁家の塾にかよっていたころのものである。その冬は雨がふらず、ほんの少しばかり雪がちらついたぐらいで、冬の作物は貧弱だった。春になっても雨はふらす、朱家のものは、川から畑に水をはこびながら、不安にかられて銅…

丁家の家塾での悔しい思い出 『偉大なる道』第1巻③ー6

ある日、一番上の伯父が丁家に行って、家扶の前でうやうやしく頭を下げたときに、もし教えてくださる大先生の給料のいくらかを払うというなら、朱家の二人のせがれは丁家の塾に入ってもよろしかろうときかされた。「丁家は大金持ちだった。だが、いつももっ…

『三字経』の暗誦 『偉大なる道』第1巻③ー5

塾生たちが塾の刑罰のことでからかうと、三老はまたもや戦端をひらいて、それから教師のところに名乗り出てゆき、たたいてくれと手を差しのばした。今度は泣くものはなかった。彼らの敵はこれを見ると、おじ気がさして、あんな連中には相手にならない方がい…

家塾に入学 『偉大なる道』第1巻③ー4

めでたい入学の日、それは1892年のことらしいが、その日が近づくにつれて、一家にはおごそかな雰囲気がただよった。3人の少年は、みなさっぱりしたズボン、上衣、円帽子、サンダルを身につけなければならなかった。頭のてっぺんは剃り、残った頭髪は洗って油…

税や賄賂に苦しむ農民 『偉大なる道』第1巻③ー3

農民は、むさくるしくみじめな暮らしをしながら、群がってくる税吏の下で汗を流していたと彼はつづけた。そういう税吏たちは、すべて吸血鬼と呼んでもいいぐらいで、毎月やってきて、農民から銅貨一枚も残さずしぼり上げようとした。数えきれないほどの旧来…

清朝兵士の怒鳴り行進 『偉大なる道』第1巻③ー2

朱将軍によれば、そのころ、帝国の兵隊は「怒鳴り行進」というものをやって、人民をおどかし、追いちらしていた。そういう習慣が、いったいどこから起こったのかは不明だが、彼が想像するには、おそらく清(満州)朝が征服したてのころ、兵士と人民が親密に…

恐ろしい清朝の兵士の思い出 『偉大なる道』第3巻③ー1

ひとたび幼少のころの追憶や感情をよびおこすことを重ねてゆくと、朱将軍の脳裏に、ありとあらゆる小さな思い出の場面が浮かびはじめた。ただ、彼はそんなものは実につまらないことと思っていたので、もし私が、まるで猫のようにそれにおどりかかって、もっ…

太平天国からの学び 『偉大なる道』第1巻②ー14

朱将軍は、英国人A・L・リンドレイの文章よりも、断片的ながらカール・マルクスが書いたものの方が、太平革命を評価する上ではるかに重要だといった。当時、カール・マルクスは『ニューヨーク・トリビューン』紙のロンドン通信員だった。その新聞の、1857年5月22…

太平天国の最期 『偉大なる道』第1巻②ー13

1964年の7月、石達開と彼の軍が西部の大渡河で敗北してから1年後だったが、満州朝と地主の連合軍は、英国人チャールズ・ゴードン指揮の「常勝軍」とよばれる外人傭兵部隊といっしょに、曽国藩の総指揮下にはいり、南京の城壁をやぶり、三日三晩、太平の男だ…

太平革命と西洋 『偉大なる道』第1巻②ー12

この太平革命が、西方世界での人びとの努力の大潮流のことを知らず、孤立無援に存在し、戦っていたというこのことこそ、この民族の気高い英知と偉大な精神力のすべてを明らかに証明している。それなのに、西方世界はその当時だけでなく、その後の百年間にも…