Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

2020-11-28から1日間の記事一覧

成都の官立高等師範学校 『偉大なる道』第2巻①ー7

休日には、朱徳は、あちこち歩きまわって、受験生たちと交わり、日本への留学とか成都高等師範進学などの計画をもつものに敬意を表しながら、その話をきいた。不思議にも、すでに1年間日本に留学したという男のことを思い出す。なんでも、その男が日本から…

科挙受験 『偉大なる道』第2巻①ー6

1学年が終わると、朱徳は、老先生のもとにもどり、そこで先生の息子といっしょに科挙に備えて古典の猛勉強をして夏をすごした。1906年の8月の末に、彼と老先生の息子は、県の試験を受ける年長者たちといっしょに大湾を出発して、儀隴県に向かった。儀隴県は…

順慶の新学校に入学 『偉大なる道』第2巻①ー5

新学校に到着と同時に、自分で考え出した「書名」、朱・チェン・徳という名で手続きをした。当時の中国人はたびたび名を変えることがあり、これは彼の2回目の「書名」だった。さてそのとき、指導教官のおそろしい宣告があった。科挙の準備をするものは、新学…

教育改革と新学校(1905年) 『偉大なる道』第2巻①ー4

1905年に教育改革のことが公布された直後に、朱徳は、帰宅して、さほど遠くない順慶に開設された新学校に入って学ぶことを許してほしいとせがんだ。家族のものは、金がないといった。彼は、その学校は官立だから一切が無料で、少しばかりの小遣銭があればい…

同盟会結成と鉄道陰謀 『偉大なる道』第2巻①ー3

1905年には、孫博士は、いまなお巨額の賞金を首にかけられた亡命者として日本にいた。そして、日本で「同盟会」という秘密革命結社をつくり、武力をもって清朝を打倒し、西洋式の共和制を中国に樹立することをちかった。日本に留学中の多くの学生が、それに…

日露戦争の影響 『偉大なる道』第2巻①ー2

日本の勝利の知らせが四川の村々に達するには、数週間かかった。 朱徳がいうには、この戦後から日本の勢力が急速に中国にしみわたってきた。日本人の顧問が、政府の各部門、産業、いろいろな種類の学校、大学に入ってくるようになった。「日本人の教師が、私…

1904年から1905年 『偉大なる道』第2巻①ー1

朱将軍は、つぎに談話をしにきたとき、義和団の乱につづく民衆の苦難についてながながと物語った。広西省では大飢饉になった。政府軍は、飢えて反乱する人民を殺し、村を打ちこわし、遺棄された死体の山は犬がむさぼるままにさせられた。 多くの省で、年1回…

『偉大なる道』第1巻「道のはじまり」を読んで

ブログを移転するために記事を1つ1つ手作業で移しているのだが、何度目かになる『偉大なる道』を読み直す機会になっている。 この巻は19世紀の中国の農民の生活ぶりが生き生きと描かれていて、とても面白いし他にはない貴重な記録書として個人的には好きだ。…

マーク・トウェインの非難 『偉大なる道』第1巻④ー10

しばらく口をつぐんでから、急に私にむかって、ドイツ皇帝が、義和団の乱のときに中国にいる自らの軍にくだした命令――ほかのすべての外国軍もそれにもとづいて行動した命令を読んだことがあるか、とたずねた。私は、その命令をごくぼんやりとしか覚えていな…

義和団の乱の影響 『偉大なる道』第1巻④ー9

反乱後、朝廷も、控えめだが新しい改革案をいくつか公示した。だが、公示だけで実行はなかった。それでも、知識人たちは、ふたたび希望を見いだして、洋学を教える学校をひらきはじめた。しかし、新式の教科書はなかったので、教師は、記憶かノートをもとに…

共和主義者の台頭 『偉大なる道』第1巻④ー8

あきらかに朱将軍は、清朝よりは義和団のらばの方を尊敬していた。清朝は、勝った外国軍のゆるしをえて、逃亡先の西安から北京にもどってきた。老西太后は、勝者に媚びへつらって、外国公使の夫人たちを宮殿の茶会に招いては、すばらしい宝石類のおくりもの…

義和団の乱の賠償金 『偉大なる道』第1巻④ー7

朱徳は学友といっしょに、市の立つ日の大湾やそのほかの町や村の農民のあいだに入っていって、四川にも危機がせまっていること、目玉が飛び出るような賠償金を新税の形で人民が払わなければならないことなどについて話をした。アメリカは義和団賠償金のほん…

連合軍による北京陥落 『偉大なる道』第1巻④ー6

塾がふたたび開かれ、かなりの日数がすぎてから、日本をふくむ8カ国の連合軍が北京を略奪したという知らせをきいた。指揮官はドイツの将軍であり、将兵にむかってドイツ皇帝の命令をくりかえした。「中国人どもの頭に恐怖心を徹底的にたたきこみ、今後ひとり…

義和団の是非を問う老師 『偉大なる道』第1巻④ー5

1900年の夏の日々、朱徳と学友たちは、たびたび老先生の家に集まって、義和団について語りあい、もし彼らがこの地で蜂起したならば、どうすればいいのかと論じた。 弟子たちの真ん中にすわって、シ先生はいった。 「二度のアヘン戦争、太平の乱、それから清…

東四川の義和団の一派 『偉大なる道』第1巻④ー4

朱将軍は、正確な年月はいえなかったが、ある日餓えた人びとの大群が、棒切れや古い鳥銃で武装して、老先生の家をとりかこんで食べ物を強要したことを記憶していた。ふたたび米騒動の人びとが、路頭をさまよって「金持ちを食い倒し」はじめた。シ先生は富豪…

義和団の活動 『偉大なる道』第1巻④ー3

1年とたたないうちに、新しい流言が、近づく旋風の前ぶれの一陣の風のように、四川の村々を吹きまくった。大湾の本通りに週ごとに立つ市では、だれかが「義和団」のことをなにやらうわさしていた。それを外国人は「ボクサー」と呼んだが、起源は14世紀になる…

西太后復活 『偉大なる道』第1巻④ー2

「改革は商人、地主、産業家、知識人の利益にはなったが、国の基本になる農民のためにはならなかった。改革での農民の役割は税を払うことであって、新制度の財源にするために多くの新税がかけられてきた。 「保守的な改革派は、西洋の民主主義の国々は近代化…

戊戌の変法 『偉大なる道』第1巻④ー1

外国による征服への恐怖の波にあおられながら、改革は国中にひろまってゆき、1898年に若い光緒帝が成年になって玉座につき、反動的な伯母西太后の摂政を廃して、自力で国政をとるようになったときに最高潮に達した。のちには改革運動を裏切ることになる、名…

洋学信者になった朱徳 『偉大なる道』第1巻③ー16

朱将軍が、シ先生が旅人から入手した小冊子を思いうかべたとき、その唇には、あわれみと悲しみが入りまじった微笑がただよった。それは西洋科学の教科書といわれるものだった。シ先生は授業を中止して、生徒といっしょに経典と同じようにほとんどすっかり暗…