Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

2020-12-01から1日間の記事一覧

日本の21カ条要求 『偉大なる道』第3巻①ー7

気がめいる単調な生活をまぎらそうとして、ときどき、蒙自で出会ったフランスの実業家を訪問したが、彼はフランスの生活や制度についての質問によろこんで答え、ヴォルテールの本も紹介してくれた。朱徳は、何人かの若い共和派士官たちと話し相手になること…

蔡鍔、北京に向かう決意 『偉大なる道』第3巻①ー6

朱将軍がいうには、雲南は国政の舞台からかなりかけはなれていたので、やっと1913年の12月になって、ある人物が袁にむかって、まだ雲南には蔡鍔(さいがく)という「危険な傑物」が野放しになっているが、ああいう人望が厚く、術策にたけた人間は、北京に置…

善後借款締結への抗議行動 『偉大なる道』第3巻①ー5

孫逸仙博士は、借款契約の実行を阻止するための必死のこころみとして、ロンドンの借款団総裁に訴え、もし銀行家たちが強行するならば、流血を見るだろうと警告した。孫博士は、彼らからあたかも存在しないかのように無視されたが、たしかに、このむごい劇の…

宋教仁、国民党結成 『偉大なる道』第3巻①ー4

1912年の秋、有名な革命指導者宋教仁は、共和制を防衛する目的で、あらゆる革命団体をひとつにまとめて、新しい統合政党として、国民党を組織した。雲南で旧同盟会からその新組織に率先して移っていった人びとのなかに、朱徳はいた。国民党員は前年とかわら…

袁世凱による共和派へのテロ 『偉大なる道』第3巻①ー3

軍官学校が再開されると、彼は、諸省からの多数の候補生と親しく交わることになったが、彼らの多くは、前年の革命に参加するために学校を去って出身省に帰っていた青年たちだった。あるものは遠く上海や広東まで帰っていた。学業を修了するために学校に戻っ…

師範学校の生徒と最初の結婚 『偉大なる道』第3巻①ー2

省の行政は改革され簡素化され、新しい政治学校の若い卒業生たちが、まもなく、まだ残っていた老朽腐敗した官吏たちの地位にとってかわるだろう。新しい学校がひらかれ、新しい工場が建てられ、近代的な道路や建築物があらわれた。新しい師範学校では男女の…

昇進と受勲 『偉大なる道』第3巻①ー1

困憊(こんぱい)し混乱したひとつの軍が、1912年3月四川を去って、雲南の本拠地に帰るために南に向かっていた。その道を、4ヵ月前は途方もなく大きな希望をいだいて歩いてきたものだった。 雲南軍の四川人部隊中の二個大隊は、四川にとどまることになった。…

第2巻「革命への道」を読んで

この巻は中国の近代史で有名な辛亥革命に下級指揮官として参加する朱徳が描写されているので、より具体的になって理解がすすんだ。迫力もあり、いかに挫折していったかも納得できる。新型コロナであまりにも有名になった武漢の町も武漢三鎮として登場し、こ…

辛亥革命からの学び 『偉大なる道』第2巻④ー11

彼は、外国にも共和中国に同情を寄せ、孫博士を支持した市民がいたことは信じている、といった。だが彼は、亡命中のロシア革命の指導者V・I・レーニンが、まだ孫博士が大総統だったころに、ジュネーブで発表した文章においてとった立場を知るだけだった。 レー…

辛亥革命の挫折 『偉大なる道』第2巻④ー10

朱徳と同志たちは、四川省で小さいながら必要な仕事をしていたが、孫博士が袁のためにゆずるといううわさには耳をうたがった。袁とは札付きの帝政派であり、1898年には改革運動を裏切り、1908年には改革派の皇帝を毒殺した悪党ではないか。皇帝への忠誠の誓…

列強と国際借款団による干渉 『偉大なる道』第2巻④ー9

孫逸仙の南京の同志たちは、そのような意図に賛同しなかったばかりか、多くは外国帝国主義者たちのまねすらして、彼を「非現実的な夢想家」と呼んだ。このような立場から、彼らは、新たな「善後借款」について、また共和国政権自身についての無惨な妥協すら…

孫逸仙、臨時大総統就任 『偉大なる道』第2巻④ー8

その時期に起こった事態が、彼の心に深い印象をきざみつけ、その後の彼の思想を形成する力になった。それを彼は次のように説明した。 1911年12月、共和派の各省代表者会議が南京でひらかれ、孫逸仙博士が最初の共和国臨時大総統に選ばれた。委員会がつくられ…

四川省で共和派軍政府樹立 『偉大なる道』第2巻④ー7

雲南遠征軍は計画にしたがって行動していたのだが、予期される成都と重慶での蜂起の知らせは、いっこうに入ってこなかった。それで、軍は成都に向かって急進撃することになり、自流井の大塩井地帯に入り、さらに進んで、満州人将軍の端方の軍が来つつある、…

四川への遠征 『偉大なる道』第2巻④ー6

雲南革命派は喜びにひたっている暇はなかった。蜂起の数週間前に、指導者たちは、四川に遠征軍をおくって、まだ満州政権を打倒できないでいる革命軍を助ける計画を立てていた。軍官学校の候補生のうち、他の省からきていたものは、前々からそれぞれ出身の省…