Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

2020-12-06から1日間の記事一覧

上海の大虐殺から対英不買運動へ 『偉大なる道』第4巻②ー14

「一切のイギリス製品を買わないという強力な運動が中国におこった。外国租界には戒厳令がしかれ、外国の陸戦隊が上海に上陸し、外国の実業家たちは武装して義勇隊をつくり、白系ロシア人もそれに加わった。アメリカ、イギリスをはじめとするヨーロッパの労…

ベルリンでの混乱する中国人集会 『偉大なる道』第4巻②ー13

朱将軍のこのような闘争の物語をきく私も、じつはそのころベルリンにいながら、彼の存在については知らなかったのだが、ふと、両派が激突するある中国人集会の光景を思いうかべた。それは、およそ500人ほどで、中国人のほか、ドイツ人やインド人もまじり、朱…

ベルリンで孫逸仙の追悼会 『偉大なる道』第4巻②ー12

やがて孫逸仙の、北京でのいたましい死が、1925年3月12日におとずれ、憂愁の気分が世界のいたるところにいる中国革命派の人びとをつつんだ。ベルリンでは、朱と彼の同志たちは、追悼会をひらき、中国語とドイツ語の特集パンフレットを出して、中国の解放にさ…

さまざまな妨害活動から考察 『偉大なる道』第4巻②ー11

「ドイツ帝国主義者たちは、ワイマール共和国に浸透してゆきながら、ふたたび、青島の海軍基地や中国内でのドイツ権益を獲得する日を夢みていた。彼らは警察内にも入りこんでいた。そして、ほかならないわれわれの同胞が、われわれと敵対するために、彼らを…

ベルリンでの活動と妨害 『偉大なる道』第4巻②ー10

さて、1924年のはじめにゲッティンゲン大学を去った朱徳が、ベルリンにもどり、ドイツ在住のすべての中国人を、広東の国民党政府下に組織しようとしていたころには、後に中国の大地と河川を流血で染めた凄惨な階級闘争は、まだ、時間の胎内にまどろんでいた…

孫逸仙、ソ連と同盟(1923年) 『偉大なる道』第4巻②ー9

いままでの37年の革命的健闘のあいだ、孫逸仙は、イギリス、フランス、アメリカの援助を期待し、もとめてきた。個人的に同情し援助したものはあった。しかし、これらの国の銀行家、政府、および中国国内外の外国語新聞は毒舌を浴びせかけ、「不平家」「夢想…

孫逸仙、黄埔軍官学校設立 『偉大なる道』第4巻②ー8

1924年のはじめに、彼はゲッティンゲンを去ってベルリンにもどり、広東の孫逸仙の提唱に基づく改組国民党の支部をつくることになった。すでに孫逸仙は、かつての華南の革命運動の根拠地を奪回して、国民党の第一回全国大会を召集していた。この党は、以前は…

ゲッティンゲン大学政治学科に入学 『偉大なる道』第4巻②ー7

「私が、ベルリンをもう十分知りつくしたので、他の都市や産業施設も見学しはじめたとき」と朱将軍はいった。「私は、日ごろの、資本主義は中国を救うことができるという信念を、うしないはじめた。もし、ドイツのように、熟練し、訓練を受けた、教育がある…

ベルリン軍事博物館で受けた衝撃 『偉大なる道』第4巻②ー6

こうして、毎日毎晩、勉強から立ちあがっては探検に出かけ、いつまでもいつまでも、歩きつづけた。ベルリン軍事博物館では、過去の戦争の武器や、ドイツ軍が捕獲した軍旗などを見た。その軍旗のむれの前で、一度、急激な衝撃をうけて立ちすくんだことがあっ…

ベルリンでの探検と読書の日々 『偉大なる道』第4巻②ー5

彼のやり方は、かつて中国古典を勉強するときにとった丹念で計画的なやり方と、おどろくほど似ていた。まずベルリンの地図を買って、記されている街路と施設の名前を中国語に訳した。道をたずねるにはドイツ語の力が足りなかったので、街路を歩いて行っては…

ヨーロッパの文明を探求『偉大なる道』第4巻②ー4

中国共産党のベルリンの仲間は、ほとんど休まず勉学に専念していた。党員たちは、正規の大学での学習のほかに、週に3回夜に討論会をひらいて、中国革命の諸問題をマルクス・レーニン主義に照らして研究し討議した。そうした会合では、朱徳は敬虔な教会員のよ…

ベルリンで周恩来と会見 『偉大なる道』第4巻②ー3

ふたりは、汽車の旅をして、1922年10月末にベルリンにつき、ただちに周恩来のところに向かった。この男は、自分たちを仲間として迎えてくれるだろうか、それとも、疑いの目で念入りに、軍閥としてのふたりの過去の経歴についてたずねるだろうか。朱は自分の…

フランスで中国共産党の支部結成 『偉大なる道』第4巻②ー2

朱徳の声は低く、はるかな想いをひびかせた。 「どこへ行っても、目に入るものは、苦しみの暗黒世界だった。中国は、地上のもっとも悲惨な国ではなく、多くの中のひとつだった。貧しく隷属化された人民の問題は、どこでも同じだった。また、フランスに上陸し…

航海途上で見た植民地の姿 『偉大なる道』第4巻②ー1

南アジアを経たマルセイユへの航海と、後のフランスとドイツでの旅行について語る朱将軍の談話には、観光客じみたところはまったくなかった。私と差し向かいにかけ、頭を垂れ、私たちのあいだにある小卓の端を両手でつかみながら、しばしば彼は、現在の環境…

共産党書記長陳独秀との会見 『偉大なる道』第4巻①ー8

つぎは、朱徳がかねて待望していた、共産党書記長陳独秀との会見があった。とうとう彼は、文化復興の主要な指導者で、高名な大学教授、輝かしい論客、編集者、そして共産党を組織した中心人物のひとりと会うことになった。陳は当時40歳ぐらいで、精力的で決…

胡漢民、汪精衛との会見 『偉大なる道』第4巻①ー7

孫逸仙とのこうした会談のあとで、3人は、国民党右派の指導者胡漢民を訪れたが、ほんの短時間いただけだった。朱将軍は、胡をきっぱりと片付けた。「反動そのものだった。香港の買弁階級の典型的な代表人物だった」 次に訪問したのは汪精衛だったが、彼は国…

上海で孫逸仙と会見 『偉大なる道』第4巻①ー6

上海にもどったふたりは、当時夫人とともにフランス租界に住んでいた孫逸仙博士の家で、ある午前をすごした。朱徳が雲南省から脱走したときの仲間のひとりの金漢鼎将軍もいっしょだった。 朱将軍は、深い感動とともに、この偉大な民族指導者との、最初にして…

絶望の街上海、南京、北京 『偉大なる道』第4巻①ー5

資本主義に奉仕する近代科学は、中国には何の利益ももたらさなかった、と彼は絶望的なひとりごとをいった。だが、遠い奥地で耳にした話では、南洋のイギリス領、オランダ領では、状況はかなりちがうということで、そこでの中国人移民は夢のような富をつかん…