Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

2020-12-07から1日間の記事一覧

中国共産党、国際共産党の政策に反対 『偉大なる道』第5巻①ー12

そのときにも、また後日にも、朱徳は、革命軍の諸軍団司令部に配置されていたロシア人顧問のことを、重視したことは一度もなかった。彼は彼らをほとんど知らないし、やっとあとになって、二人だけ蒋介石といっしょにいるところを、遠方から見ただけだ。それ…

蒋介石の変節 『偉大なる道』第5巻①ー11

蒋介石は、そのほか多くの要求を国民党に向けて出してきた。軍のなかにある政治部は、国民党内の政治的勢力を軍人の上におくための力だったが、蒋介石や多くの将軍たちには脇腹に突きささるトゲでもあった。隊内の政治委員は、ほとんど副司令官といえるもの…

北伐軍に鼓舞される農民運動 『偉大なる道』第5巻①ー10

北伐軍が広東を出発して、湖南の平原に入ったとき、その勢いに応じて農民はたちあがって、地主の傭兵「民団」の武装を解除し、村々を占領して、地主どもを追っぱらった。国民党の、土地改革――小作料の軽減や高利の禁止など――の約束などは当てにしないで、多…

毛沢東の農民運動についての論文 『偉大なる道』第5巻①ー9

自分が農民出身だったので、彼が注目したのは農民運動だったが、それは中国南部に大洪水のようにひろがって、幼い労働運動とともに、国民軍の高級士官――彼らは、地主だったり、地主や商人の買弁の家族出身だった――を、恐怖におとしいれた。 朱将軍は、毛沢東…

英帝国主義への労働者や学生の怒り 『偉大なる道』第5巻①ー8

英帝国主義は、北伐軍の後方をかく乱するためにあらゆる術策を弄したのみならず、敗北する呉佩孚の援助のためには手段をえらばなかった。また彼らは、孫伝芳を支援して、現金1千万ドルを与え、また北方軍閥の力を維持し国内の秩序をみだすため、2千万個の弾…

英国による万県事件への怒り 『偉大なる道』第5巻①ー7 

「ちょうどこの危機の時に」と朱将軍はつづけて、「一隻のイギリス商船が揚子江をさかのぼってきて、万県の前面に碇泊したので、慣例によって、楊森将軍の税官吏は、しらべるために向かった。その税関の小艇が近づくと、銃火があられのようにふりそそいでき…

北伐軍の内紛とゆれる楊森将軍 『偉大なる道』第5巻①ー6

「鉄軍」が武漢を奪取したのちにも、楊森は狐疑逡巡していたが、まもなく朱は、その理由がわかった。湖南や武漢三市から逃れてきた地主や産業家が、彼の司令部に来ては、北伐軍の内部は大きく二つに割れているといううわさを伝えた。彼らは楊に、北伐軍の士…

鉄軍の指揮官と政治指導員の活躍 『偉大なる道』第5巻①ー5

楊は、朱の言葉が心にしみてこなかったのか、しばらく、どっちの側が勝つのかと、形勢の観察をつづけた。くる日もくる日も、朱は楊に、国民党の運動の意味についてかたり、同時に、革命軍の勝報もながれこんできた。北伐軍は、何百万人の農民と労働者の蜂起…

東四川の軍閥楊森将軍との再会 『偉大なる道』第5巻①ー4

漢口での使命もやりとげたので、朱将軍はふたたび船に乗り、数日後には東四川の万県に上陸した。楊森将軍の司令部にいき、国民党代表としての信任状を楊に提出した。 「楊は、私を、友人で旧友であるかのように迎えた」と朱将軍はにがい表情をしていった。 …

四川省の軍閥の動向 『偉大なる道』第5巻①ー3

西の四川省は、いまも、劉湘と楊森の二人の軍閥がおさえていたが、楊は、彼の同盟者によって重慶から追いはらわれ、1万人ほどの軍をひきいて万県に司令部をおいて、東四川一帯を食い物にしていた。昔の同盟者の手で弱体化されたので、揚子江流域の呉佩孚(ご…

北方の軍閥の勢力範囲 『偉大なる道』第5巻①ー2

閘北の目的地につくと、朱徳は一軒の家の表口から入って、裏口に通りぬけ、さらにもう一軒、もう一軒、と同じことをくりかえし、最後に、一団の人々が待つ部屋に入る。やがてそこを辞して、共同租界に帰り、あたえられた任務にかかる。むかしの雲南軍時代の…

上海の目覚めた人々と北伐の準備 『偉大なる道』第5巻①ー1

1926年の7月中旬のある日、朱徳は上海の共同租界の街路を用心深く歩いていた。ゆき先は、租界に接する閘北という中国人街で、そこでは、全中国の労働組合と共産党と国民党が、地下の本部を維持していた。彼は、すでに一度、共産党の書記長陳独秀と会見してい…

『偉大なる道』第4巻「探求」を読んで

朱徳がドイツに留学していた、1925年3月12日孫逸仙が北京で亡くなった。ドイツで、朱徳の仲間たちが追悼会をひらいたことが描写されているのだが、外国の帝国主義者だけでなく、多くの中国人が彼の死をよろこんだというくだりは意外だった。 このころの中国…

革命生活のために帰国 『偉大なる道』第4巻②ー19

船がバルト海の波をわけてすすむとき、朱将軍は甲板をあるきながら、この4年間の経験にしめくくりをつけようとした。彼は、1922年に中国を去ったときとは、かなり変化した人間になっていた。中国における反革命運動の爆発をうれえてはいたが、今では、かつて…

騒擾罪でドイツから退去命令 『偉大なる道』第4巻②ー18

6月中旬のある夜、朱将軍は書物や文献と別れをつげ、9人の中国人と一団となって、ベルリンスポーツパレスでの中国問題に関する大集会にはせ参じた。ドイツ政府の特別命令によって、中国人はこのような会合に加わることを禁じられていたが、聴衆としてそこに…

蒋介石、北伐軍の総司令官に 『偉大なる道』第4巻②ー17

国民党とのあいだの、だらだらとつづく交渉の結果、休戦状態がつくり上げられた。共産党指導者の一部は、民族統一戦線を維持することにあせり、もし蒋が孫逸仙の三民主義と三大政策を守るならば、自分たちは地位を捨てさっていいといった。蒋は、時をかせぐ…

蒋介石の軍事クーデター 『偉大なる道』第4巻②ー16

学習は、中国からの報道によってかき乱され、困難を感じさせられた。孫逸仙の遺骸に安らかに眠る時もあたえないほどのうちに、すぐに国民党内の反動派は徒党をむすんで、広東革命政権の基本理念だった三大政策をくつがえそうとした。孫博士の一人息子の孫科…

マルクス主義の学者のもとで研究 『偉大なる道』第4巻②ー15

ドイツでは、朱将軍と同志が、ドイツの労働者階級とつながりながら、2ヵ月の間に何回か大集会をひらいた。同じような示威はフランス、イギリス、オランダ、アメリカでもおこなわれた。イギリス政府は、フランス政府に、中国人指導者20名を追放させ、さらにド…