Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

2020-12-14から1日間の記事一覧

李立三路線を拒否して長沙からふたたび撤退 『偉大なる道』第7巻③ー7

これと時を同じくして、8月1日、朱徳と毛沢東は南昌攻撃を命じた。やせて、汗にまみれた兵士たちは、南昌周辺の防御陣地に向かって、文字どおり不眠不休の体当たりをつづけたのだが、敵軍の砲火のもとに秋の木の葉のようにばたばたとたおれていった。朱徳の…

長沙からの撤退 『偉大なる道』第7巻③ー6

1930年7月29日、炎熱にうだるような夏の日だった。朱徳と毛沢東は、江西省の北端にある南昌の周辺にはりめぐらされた強力な防衛陣地の近くに達し、はるか遠方からこの強力な防御陣地を観察した。ちょうどこの日、彭徳懐の第三軍団が、次から次へとつづく農民…

大都市にしかれた戒厳令 『偉大なる道』第7巻③ー5

「文学的に見れば」と、筆者は朱徳の話に引きずりこまれて、われを忘れて口をはさんだ。「すばらしい、劇的な戦略です。――抑圧されている都市の人民を解放するために、大軍が進撃する……一世紀にわたる従属の鎖をたち切るために、大衆が立ちあがる……一つの民…

各軍団による武漢三鎮進撃作戦 『偉大なる道』第7巻③ー4

最高の軍事・政治機関であり、中国ソビエト政府の先駆でもある革命軍事委員会の中核はこの時結成された、と朱将軍はかたった。この委員会は、全国各地の各軍団の司令官と政治委員の全員で構成された。この機関は「当時においては、観念以上のなにものでもな…

李立三路線を承認 『偉大なる道』第7巻③ー3

朱将軍の新戦略にたいする態度は、つぎの言葉のうちにあらわれている。 「毛沢東と私は、この計画全体に対して深い疑念をもっていた。しかし、われわれは、この数年間奥地に孤立しており、国内や国際情勢についてわれわれがもっている知識ははなはだ不完全だ…

李立三路線への疑念と妥協 『偉大なる道』第7巻③ー2

これらの計画や指令をふりかえってみて、朱将軍はこう言明した。――李立三と彼の支持者たちは、中国の土地革命を、いいかえれば、大衆がそれを通じて自己の力を行使する人民代表会議、すなわちソビエトの問題をほとんど信頼もしなかったし、理解もしなかった…

上海にある共産党中央委員会からの指令 『偉大なる道』第7巻③ー1

1930年の6月に入ったころ、朱徳は、福建省の西部山地にある城市汀州で、重要会議をひらくために、毛沢東やその他の党指導者たちが江西省から山を越えてやって来るのを待っていた。それまでの5ヵ月間というもの、彼の部隊はわずか2,3日ではあるが、休養をとっ…

生涯の伴侶、康克清との結婚 『偉大なる道』第7巻②ー13

朱将軍は康克清を愛してもいたし、誇りにもしていた。彼女のことを、「紅軍のなかで成長し、教育された娘、つまり、紅軍がつくりあげた人間の典型」だといっていた。紅軍に加わったそのときから勉強をはじめ、党員になり、党から与えられた仕事をはたしてき…

軍事問題に没頭する多忙な朱徳 『偉大なる道』第7巻②ー12

この再建の期間、朱将軍は主として軍事問題に没頭していた。彼はいたるところにたむろしている敵の部隊や、「紅匪掃滅」活動の功績で、蒋介石から栄誉と償金をもらおうと考えている臨時雇いの連隊を片付けてゆかねばならなかった。こういう連隊が南京にどん…

中国史上最大の学習運動のはじまり 『偉大なる道』第7巻②ー11

こうして、朱徳のいう「中国史上最大の学習運動」がはじまった。この運動は、壁やがけや木の幹にまで書きこまれた、つぎのようなスローガンにあらわれている。学べ、学べ、それから、学べ! ……陽が沈むまで学習せよ! ……雪明かりで学習せよ! 「抑圧され、い…

毛沢東、土地事情の調査を指示 『偉大なる道』第7巻②ー10

土地の再分配をするまえに、毛沢東は数組の政治工作員を派遣して、土地事情を調査させた。これは、この地方でおこなわれた最初の調査であった。この調査の結果、大荘田や、寺廟、祠堂をふくめた土地の70%が、人口の1ないし2%にすぎない地主に所有されてい…

旧雲南軍の内部からの崩壊 『偉大なる道』第7巻②ー9

1930年の1月から3月まで、朱徳は紅軍主力の司令官として、旧雲南軍に対して迅速にして激烈をきわめた作戦をみずから指導した。この雲南軍は、かつて彼が旅団長をしていたことがあるのだが、いまは蒋介石の命令で「紅匪」を撃破し根絶するために江西省へひき…