Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

2020-12-20から1日間の記事一覧

抗日戦をつづけるための自給・自立 『偉大なる道』第10巻③ー13

両共産軍と華北華中の人民は、彼らの胃袋を自分たちで満たさなければならないという境遇におちいりながらも、いわゆる「大業」に着手したのだが、それは数年後にその結果を見たものは驚異の目をみはらせるに十分であった。何ヵ月かの惨憺たる苦闘ののち、新…

揚子江虐殺に対する毛沢東と朱徳の抗議 『偉大なる道』第10巻③ー12

毛沢東と朱徳が、ふたたび乗りだした。彼らはすぐさま内戦に突入するのを防ぐため、きわめて慎重ではあったが、事実は詳細に暴露して、そして、重慶は葉挺将軍その他新四軍の将兵を釈放し復職させ、事態の収拾をはかること、この悲劇の責任者を処罰すること…

蒋介石による揚子江虐殺事件の真相 『偉大なる道』第10巻③ー11

1千人だけが血路をひらいて揚子江をわたり本隊と合流した。約4千人の負傷兵は、捕虜にされ、拘置所につながれた。その大部分は病気と虐待のために、そこで死んだ。婦人の捕虜は国民党将校のあいだで分配され、獣のように扱われた。米国が参戦した後、戦時情…

新四軍への撤退命令の真意 『偉大なる道』第10巻③ー10

重慶が日本の演出によってそうしたのか、たまたま日本と同じ結論に達したのかわからないが、とにかく重慶最高司令部は、1940年12月、新四軍に向かって、2年近く作戦した戦闘地区から撤退するように命じた。そして、特定の地点で揚子江をわたり、指定された道…

日本軍に対する百団出撃の戦果 『偉大なる道』第10巻③ー9

朱将軍が私(スメドレー)にくれた手紙によると、この驚異的な攻勢に参加した八路軍の百団(百個連隊)はすべて志願によって編成されたもので、日本軍の「封鎖せん滅」作戦を打破し、打ち負かそうという強烈な熱意をもつものから選ばれた。八路軍は全部隊か…

国民党軍、八路軍と新四軍を非難 『偉大なる道』第10巻③ー8

大胆な民主主義的改革を導入すれば、華北の経験がしめすとおり、人民のもつあらゆる潜在的な力や熱情が、よびさまされるはずであるが、重慶はそれをやらないで、反動と腐敗の底にますます深く沈んでいった。その上国民党の将軍たちは、しばしば重慶最高司令…

八路軍に対する蒋介石の軍事攻撃 『偉大なる道』第10巻③ー7

1939年12月ごろには、内戦の危機がますます高まってきたので、朱徳将軍は前線をはなれて延安にかえり、毛沢東や中央委員会と常に接触を保つことが必要になった。3年後に私にくれた手紙の中で、「八路軍に対する蒋介石の公然たる軍事行動の最初のものは、1939…

内戦回避努力の最中におきた事件 『偉大なる道』第10巻③ー6

1939年3月まで、共産主義者は内戦再開のきっかけになりそうなあらゆる事件を、おだやかにおさめるのに懸命の努力をはらっていた。ところが3月末のある深夜、国民党部隊が新四軍の湖南省の輸送連絡所を襲って、全員を生き埋めにして殺した。 毛沢東と朱徳は、…

内戦と対日降伏の危機の時期 『偉大なる道』第10巻③ー5

朱将軍は、1939年7月18日延安の新聞で発表した論文の中で、国民党反動勢力の増大と、二重の危険――内戦と対日降伏についてのべている。 「1938年秋、漢口が日本軍の手に落ちて以後、われわれは国民党内の有力な一派が、民族統一戦線をやぶり内戦を再開するこ…

蒋介石と汪精衛の共通認識と立場の違い 『偉大なる道』第10巻③ー4

戦争の1年間に、政府は、政治犯を釈放し、その管下の人民にある程度の政治的自由をゆるしたが、ふたたび反動が勢力をもり返す不吉なきざしがあらわれた。汪精衞行政院長は、多くの追随者に支持されて「共産主義の匪賊行為」に対する警鐘をうちならし、日本の…

八路軍を恐れる日本軍と国民党反動たち 『偉大なる道』第10巻③ー3

八路軍も大きな損傷をこうむったが、敵の損害は3万4千であった。敵の捕虜――その大部分は傀儡中国人だった――は2094人で、その他に徴兵されていた満州兵1366人が、日本の兵器をもったまま八路軍に入ってきた。 八路軍が開戦当時もっていた貧弱な装備を考えると…

八路軍の抗日戦争一年目の報告 『偉大なる道』第10巻③ー2

1938年夏の半ばころ、朱将軍は、日本軍の警戒線を西に横切って、両岸の断崖が雲に包まれている、渦巻く黄河をわたって、延安におもむいて、八路軍の抗日戦争1年目の報告をおこなった。この報告書は、その年の秋の共産党中央委員会第六回総会に提出された。 …

抗日戦(1938年)のおそろしい時期 『偉大なる道』第10巻③ー1

日本軍は、1938年はじめの野蛮な攻勢作戦によって山西省の主な都会を占領し、国民党軍を、黄河の向こうや省境のポケット地域に追った。五台山の八路軍基地には、6つの別々の道から敵の6つの縦隊が押し寄せた。彼らはそこで停滞したが、それから、徐々に山西…