Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

『偉大なる道』第一巻(改編)

マーク・トウェインの非難 『偉大なる道』第1巻④ー10

しばらく口をつぐんでから、急に私にむかって、ドイツ皇帝が、義和団の乱のときに中国にいる自らの軍にくだした命令――ほかのすべての外国軍もそれにもとづいて行動した命令を読んだことがあるか、とたずねた。私は、その命令をごくぼんやりとしか覚えていな…

義和団の乱の影響 『偉大なる道』第1巻④ー9

反乱後、朝廷も、控えめだが新しい改革案をいくつか公示した。だが、公示だけで実行はなかった。それでも、知識人たちは、ふたたび希望を見いだして、洋学を教える学校をひらきはじめた。しかし、新式の教科書はなかったので、教師は、記憶かノートをもとに…

共和主義者の台頭 『偉大なる道』第1巻④ー8

あきらかに朱将軍は、清朝よりは義和団のらばの方を尊敬していた。清朝は、勝った外国軍のゆるしをえて、逃亡先の西安から北京にもどってきた。老西太后は、勝者に媚びへつらって、外国公使の夫人たちを宮殿の茶会に招いては、すばらしい宝石類のおくりもの…

義和団の乱の賠償金 『偉大なる道』第1巻④ー7

朱徳は学友といっしょに、市の立つ日の大湾やそのほかの町や村の農民のあいだに入っていって、四川にも危機がせまっていること、目玉が飛び出るような賠償金を新税の形で人民が払わなければならないことなどについて話をした。アメリカは義和団賠償金のほん…

連合軍による北京陥落 『偉大なる道』第1巻④ー6

塾がふたたび開かれ、かなりの日数がすぎてから、日本をふくむ8カ国の連合軍が北京を略奪したという知らせをきいた。指揮官はドイツの将軍であり、将兵にむかってドイツ皇帝の命令をくりかえした。「中国人どもの頭に恐怖心を徹底的にたたきこみ、今後ひとり…

義和団の是非を問う老師 『偉大なる道』第1巻④ー5

1900年の夏の日々、朱徳と学友たちは、たびたび老先生の家に集まって、義和団について語りあい、もし彼らがこの地で蜂起したならば、どうすればいいのかと論じた。 弟子たちの真ん中にすわって、シ先生はいった。 「二度のアヘン戦争、太平の乱、それから清…

東四川の義和団の一派 『偉大なる道』第1巻④ー4

朱将軍は、正確な年月はいえなかったが、ある日餓えた人びとの大群が、棒切れや古い鳥銃で武装して、老先生の家をとりかこんで食べ物を強要したことを記憶していた。ふたたび米騒動の人びとが、路頭をさまよって「金持ちを食い倒し」はじめた。シ先生は富豪…

義和団の活動 『偉大なる道』第1巻④ー3

1年とたたないうちに、新しい流言が、近づく旋風の前ぶれの一陣の風のように、四川の村々を吹きまくった。大湾の本通りに週ごとに立つ市では、だれかが「義和団」のことをなにやらうわさしていた。それを外国人は「ボクサー」と呼んだが、起源は14世紀になる…

西太后復活 『偉大なる道』第1巻④ー2

「改革は商人、地主、産業家、知識人の利益にはなったが、国の基本になる農民のためにはならなかった。改革での農民の役割は税を払うことであって、新制度の財源にするために多くの新税がかけられてきた。 「保守的な改革派は、西洋の民主主義の国々は近代化…

戊戌の変法 『偉大なる道』第1巻④ー1

外国による征服への恐怖の波にあおられながら、改革は国中にひろまってゆき、1898年に若い光緒帝が成年になって玉座につき、反動的な伯母西太后の摂政を廃して、自力で国政をとるようになったときに最高潮に達した。のちには改革運動を裏切ることになる、名…

洋学信者になった朱徳 『偉大なる道』第1巻③ー16

朱将軍が、シ先生が旅人から入手した小冊子を思いうかべたとき、その唇には、あわれみと悲しみが入りまじった微笑がただよった。それは西洋科学の教科書といわれるものだった。シ先生は授業を中止して、生徒といっしょに経典と同じようにほとんどすっかり暗…

共和制と洋学 『偉大なる道』第1巻③ー15

外国に征服されるという恐れと清朝への憎しみは大きくなるばかりで、あらゆる種類の風説は村から村へ見るまにひろがっていった。朱徳は西洋人を見たことがなかったが、旅の人たちが断言するには、ほとんどのものが毛むくじゃらの赤ら顔で、脚にはひざ関節が…

門戸開放政策 『偉大なる道』第1巻③ー14

朱将軍は当時のイギリス帝国主義には二派あったとつけ加えた。一つは中国を完全に分割してしまえと主張し、他は清朝を看板に出しておいて、その陰から全中国の貿易を支配しようというものであった。この「平和」的帝国主義の一派は頭をひねって、菓子を食べ…

列強による中国解体の恐怖 『偉大なる道』第1巻③ー13

1897年には、朱将軍は11歳になったばかりだったが、列強によって中国の解体と隷属化がおこなわれ、国土がいくつかの「勢力範囲」に分割されてゆくときの恐怖感を、今もまざまざと思いうかべることができる。率先して悪例をつくったのはドイツ人で、まず山東…

西洋列強と日本の台頭 『偉大なる道』第1巻③ー12

この老人の指導のもとに、四書五経と綱艦すなわち中国史概要と二十四史を修了した。生徒たちが本の勉強でうんざりすると、老人は彼らをさそって、一家の食料の一部を自給している小さな畑を散歩した。歩きながら彼は皇帝や将軍や官僚たちのことを辛辣に語り…

シ・ピン・アン先生の家塾に入学 『偉大なる道』第1巻③ー11

朱将軍はこういうできごとは飛ばしがちになり、むしろシ・ピン・アン先生の塾によって彼の前にひらかれた新世界について多く語ろうとした。塾は彼の家から3マイル(4.8キロ)ほど離れた老先生の家でひらかれていた。彼はこの距離を毎日早朝と夕刻に歩いた。 …

大湾の先祖の家 『偉大なる道』第1巻③ー10

朱将軍にとって、大湾はいつもよき思い出の土地だった。自然条件が他のどこよりもよかったというのではない。その小さな町が彼の家族が向上の一歩をとることを助けたという。 大湾の内外には8千人ほどが住んでいた。彼はそれまでにこんな大きな町を見たこと…

小作料の値上げと家族の分離 『偉大なる道』第1巻③ー9

朱家は借金はしなかったが、もはや無一物になっていた。ある日、丁家の家扶がやってきて、お前たちはかんばつのあいだ小作料を払わなかったので、旦那様も「困っておられる」から、今後は小作料を上げるといいわたした。一番上の伯父がひざまづいて、私たち…

飢えた農民の飢餓行進 『偉大なる道』第1巻③ー8

ある初夏の日に、丁の家族を山に送るために邸宅にこい、と朱家の男たちに呼出しがかかってきたが、そのときだれかが頭をあげて「変だ」とさけんだ。 老三はあやしい物音をきいた。はじめは、家の中でお産をしている母のところからだろうと思った。しかし、馬…

飢饉の思い出 『偉大なる道』第1巻③ー7

もうひとつの思い出の情景も、朱徳が丁家の塾にかよっていたころのものである。その冬は雨がふらず、ほんの少しばかり雪がちらついたぐらいで、冬の作物は貧弱だった。春になっても雨はふらす、朱家のものは、川から畑に水をはこびながら、不安にかられて銅…

丁家の家塾での悔しい思い出 『偉大なる道』第1巻③ー6

ある日、一番上の伯父が丁家に行って、家扶の前でうやうやしく頭を下げたときに、もし教えてくださる大先生の給料のいくらかを払うというなら、朱家の二人のせがれは丁家の塾に入ってもよろしかろうときかされた。「丁家は大金持ちだった。だが、いつももっ…

『三字経』の暗誦 『偉大なる道』第1巻③ー5

塾生たちが塾の刑罰のことでからかうと、三老はまたもや戦端をひらいて、それから教師のところに名乗り出てゆき、たたいてくれと手を差しのばした。今度は泣くものはなかった。彼らの敵はこれを見ると、おじ気がさして、あんな連中には相手にならない方がい…

家塾に入学 『偉大なる道』第1巻③ー4

めでたい入学の日、それは1892年のことらしいが、その日が近づくにつれて、一家にはおごそかな雰囲気がただよった。3人の少年は、みなさっぱりしたズボン、上衣、円帽子、サンダルを身につけなければならなかった。頭のてっぺんは剃り、残った頭髪は洗って油…

税や賄賂に苦しむ農民 『偉大なる道』第1巻③ー3

農民は、むさくるしくみじめな暮らしをしながら、群がってくる税吏の下で汗を流していたと彼はつづけた。そういう税吏たちは、すべて吸血鬼と呼んでもいいぐらいで、毎月やってきて、農民から銅貨一枚も残さずしぼり上げようとした。数えきれないほどの旧来…

清朝兵士の怒鳴り行進 『偉大なる道』第1巻③ー2

朱将軍によれば、そのころ、帝国の兵隊は「怒鳴り行進」というものをやって、人民をおどかし、追いちらしていた。そういう習慣が、いったいどこから起こったのかは不明だが、彼が想像するには、おそらく清(満州)朝が征服したてのころ、兵士と人民が親密に…

恐ろしい清朝の兵士の思い出 『偉大なる道』第3巻③ー1

ひとたび幼少のころの追憶や感情をよびおこすことを重ねてゆくと、朱将軍の脳裏に、ありとあらゆる小さな思い出の場面が浮かびはじめた。ただ、彼はそんなものは実につまらないことと思っていたので、もし私が、まるで猫のようにそれにおどりかかって、もっ…

太平天国からの学び 『偉大なる道』第1巻②ー14

朱将軍は、英国人A・L・リンドレイの文章よりも、断片的ながらカール・マルクスが書いたものの方が、太平革命を評価する上ではるかに重要だといった。当時、カール・マルクスは『ニューヨーク・トリビューン』紙のロンドン通信員だった。その新聞の、1857年5月22…

太平天国の最期 『偉大なる道』第1巻②ー13

1964年の7月、石達開と彼の軍が西部の大渡河で敗北してから1年後だったが、満州朝と地主の連合軍は、英国人チャールズ・ゴードン指揮の「常勝軍」とよばれる外人傭兵部隊といっしょに、曽国藩の総指揮下にはいり、南京の城壁をやぶり、三日三晩、太平の男だ…

太平革命と西洋 『偉大なる道』第1巻②ー12

この太平革命が、西方世界での人びとの努力の大潮流のことを知らず、孤立無援に存在し、戦っていたというこのことこそ、この民族の気高い英知と偉大な精神力のすべてを明らかに証明している。それなのに、西方世界はその当時だけでなく、その後の百年間にも…

華南の上帝礼拝集団 『偉大なる道』第1巻②ー11

われわれは、太平天国の壮大な悲劇に近づいてながめるときに、一種の畏怖のようなものを感じる。その反乱の兆しが1847年におこるはるか以前に、中国の情勢は、しだいに満州朝の専制への反抗の気運を高めてゆきつつあった。1839年のイギリスとの第一次阿片戦…