Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

『偉大なる道』第七巻(改編)

中国の農民と工業労働者の違い 『偉大なる道』第7巻③ー11

肉食獣のような支配階級は、むかしながらの特権的地位をとりかえそうとたたかっていたが、彼らの邪悪な権謀術数にたいしては、ねばり強い長期的な闘いが必要であった。朱将軍が、この闘争について話してくれた1937年のはじめのこと、筆者は、ある大昼食会で…

反ボルシェヴィキ(AB)団に抗して 『偉大なる道』第7巻③ー10

もちろん、それまでも、紅軍は敵の秘密謀略に対抗する委員会をもっていた。しかし、とくに反革命対策特別委員会を組織して、真剣に活動を始めたのは、吉安事件以後のことであった。 AB団の暗号が解読されたからあとでさえ、朱将軍によれば、紅軍はだれひとり…

吉安陥落 『偉大なる道』第7巻③ー9

吉安は、1930年10月4日の真夜中に陥落した。その間、毛は軍務をはなれて、行政面の仕事を担当し、吉安ソビエトの組織を指導した。また朱は、あらたに紅軍に加わった1万人におよぶ農民や労働者の義勇兵の問題を処理するため、城外に出ていった。吉安の市街全…

吉安をとりかえす戦闘計画 『偉大なる道』第7巻③ー8

朱徳と毛沢東の命令は彭徳懐その他によって支持されたが、全員の支持はうけなかった。それは武漢を囲んでいた他の2軍団の撤退を要求したからであった。その結果、共産党としては、国民党独裁体制にたいする武装闘争の全国的計画すべてを放棄せざるをえなくな…

李立三路線を拒否して長沙からふたたび撤退 『偉大なる道』第7巻③ー7

これと時を同じくして、8月1日、朱徳と毛沢東は南昌攻撃を命じた。やせて、汗にまみれた兵士たちは、南昌周辺の防御陣地に向かって、文字どおり不眠不休の体当たりをつづけたのだが、敵軍の砲火のもとに秋の木の葉のようにばたばたとたおれていった。朱徳の…

長沙からの撤退 『偉大なる道』第7巻③ー6

1930年7月29日、炎熱にうだるような夏の日だった。朱徳と毛沢東は、江西省の北端にある南昌の周辺にはりめぐらされた強力な防衛陣地の近くに達し、はるか遠方からこの強力な防御陣地を観察した。ちょうどこの日、彭徳懐の第三軍団が、次から次へとつづく農民…

大都市にしかれた戒厳令 『偉大なる道』第7巻③ー5

「文学的に見れば」と、筆者は朱徳の話に引きずりこまれて、われを忘れて口をはさんだ。「すばらしい、劇的な戦略です。――抑圧されている都市の人民を解放するために、大軍が進撃する……一世紀にわたる従属の鎖をたち切るために、大衆が立ちあがる……一つの民…

各軍団による武漢三鎮進撃作戦 『偉大なる道』第7巻③ー4

最高の軍事・政治機関であり、中国ソビエト政府の先駆でもある革命軍事委員会の中核はこの時結成された、と朱将軍はかたった。この委員会は、全国各地の各軍団の司令官と政治委員の全員で構成された。この機関は「当時においては、観念以上のなにものでもな…

李立三路線を承認 『偉大なる道』第7巻③ー3

朱将軍の新戦略にたいする態度は、つぎの言葉のうちにあらわれている。 「毛沢東と私は、この計画全体に対して深い疑念をもっていた。しかし、われわれは、この数年間奥地に孤立しており、国内や国際情勢についてわれわれがもっている知識ははなはだ不完全だ…

李立三路線への疑念と妥協 『偉大なる道』第7巻③ー2

これらの計画や指令をふりかえってみて、朱将軍はこう言明した。――李立三と彼の支持者たちは、中国の土地革命を、いいかえれば、大衆がそれを通じて自己の力を行使する人民代表会議、すなわちソビエトの問題をほとんど信頼もしなかったし、理解もしなかった…

上海にある共産党中央委員会からの指令 『偉大なる道』第7巻③ー1

1930年の6月に入ったころ、朱徳は、福建省の西部山地にある城市汀州で、重要会議をひらくために、毛沢東やその他の党指導者たちが江西省から山を越えてやって来るのを待っていた。それまでの5ヵ月間というもの、彼の部隊はわずか2,3日ではあるが、休養をとっ…

生涯の伴侶、康克清との結婚 『偉大なる道』第7巻②ー13

朱将軍は康克清を愛してもいたし、誇りにもしていた。彼女のことを、「紅軍のなかで成長し、教育された娘、つまり、紅軍がつくりあげた人間の典型」だといっていた。紅軍に加わったそのときから勉強をはじめ、党員になり、党から与えられた仕事をはたしてき…

軍事問題に没頭する多忙な朱徳 『偉大なる道』第7巻②ー12

この再建の期間、朱将軍は主として軍事問題に没頭していた。彼はいたるところにたむろしている敵の部隊や、「紅匪掃滅」活動の功績で、蒋介石から栄誉と償金をもらおうと考えている臨時雇いの連隊を片付けてゆかねばならなかった。こういう連隊が南京にどん…

中国史上最大の学習運動のはじまり 『偉大なる道』第7巻②ー11

こうして、朱徳のいう「中国史上最大の学習運動」がはじまった。この運動は、壁やがけや木の幹にまで書きこまれた、つぎのようなスローガンにあらわれている。学べ、学べ、それから、学べ! ……陽が沈むまで学習せよ! ……雪明かりで学習せよ! 「抑圧され、い…

毛沢東、土地事情の調査を指示 『偉大なる道』第7巻②ー10

土地の再分配をするまえに、毛沢東は数組の政治工作員を派遣して、土地事情を調査させた。これは、この地方でおこなわれた最初の調査であった。この調査の結果、大荘田や、寺廟、祠堂をふくめた土地の70%が、人口の1ないし2%にすぎない地主に所有されてい…

旧雲南軍の内部からの崩壊 『偉大なる道』第7巻②ー9

1930年の1月から3月まで、朱徳は紅軍主力の司令官として、旧雲南軍に対して迅速にして激烈をきわめた作戦をみずから指導した。この雲南軍は、かつて彼が旅団長をしていたことがあるのだが、いまは蒋介石の命令で「紅匪」を撃破し根絶するために江西省へひき…

毛沢東が提案した決議 『偉大なる道』第7巻②ー8

大衆の武装力である紅軍だけが、中国人民のこの貧窮と従属に、革命的な解決をもたらすことができる、と毛沢東は言明した。しかし、この目的を達成するためには、紅軍に一定の改革をおこなうことが必要である。彼が将来の政策について大会に提案した決議は、…

第九回紅軍代表者会議での毛沢東の報告 『偉大なる道』第7巻②ー7

古田の紅軍代表者大会で朱将軍は、紅軍成立以来のあらゆる行動を回顧しながら、年次軍事報告をおこなった。毛沢東は政治問題について報告したが、それは単に紅軍とソビエト地区についてだけではなく、国内情勢からさらに彼が知るかぎりの国際情勢にまでおよ…

古参兵たちと再会そして毛沢東と連絡 『偉大なる道』第7巻②ー6

その付近には6百人のパルチザンがいた。そのうち2百人近くは、1年ばかり前、朱徳と毛沢東にしたがって井岡山の封鎖を突破した紅軍の古参兵だった。彼らは一年前のきびしい冬、この山岳地帯一帯で紅軍が死にものぐるいの戦闘をつづけていた当時、病気にかかっ…

東江地方へ突入するが敗北 『偉大なる道』第7巻②ー5

上杭にはいってからわずか数日後、朱徳は、ふたたび行軍を開始し、福建南部一帯の敵軍を掃討した。10月の末になって、朱徳と彼の部隊はついに福建南部に隣接する広東省東江地方へ突入した。この地方は、かつて2年前、有名な「鉄軍」が撃破されたところだった…

上杭占領と囚人の釈放 『偉大なる道』第7巻②ー4

狙撃兵が城壁上の電燈を射ち落として、西側にいる臼砲隊に合図を与えた。敵の哨兵はまた赤衛隊がいやがらせ行為をしたぐらいに考えて、ただえんぺい物のかげにかくれただけだった。ところが、つづいて臼砲が西門を砲撃しはじめたので、城内にいた敵の旅団の…

農民たちと上杭襲撃作戦 『偉大なる道』第7巻②ー3

宵闇が立ち込めてくると、上杭はまるでおとぎ話の国のようになった。上杭には発電所があり、市の支配者と守備隊は城壁のてっぺんにぐるりと電燈をぶら下げていた。彼らはおろかにも、これで、夜間城壁の上を巡察する哨兵が、城壁の下に近づく、あらゆる攻撃…

上杭進撃作戦 『偉大なる道』第7巻②ー2

まさしく、民謡が語っているとおり、仲秋の日に朱徳は正規軍二個連隊と数個部隊の赤衛隊をひきいて、福建南部の上杭に向かって進撃した。行進してゆくと、沿道の農民たちは、それぞれ鋸(のこぎり)や斧や槍をとっていっしょに行軍しはじめた。ある日の午後…

新しい民謡「上杭の歌」 『偉大なる道』第7巻②ー1

朱将軍が次に生涯の話をしにきたときには、おもに歌と戦いについて語った。というのは、朱徳という人にとっては、歌うことが生活の一部になっていて、彼の生活と思想は、戦いによって形成されたものだからだった。 「われわれがくるまでは」と彼ははじめた、…

毛沢東マラリヤにかかり重態 『偉大なる道』第7巻①ー20

その年の9月1日には、朱徳は福建西部のソビエト区に帰ってきていた。この地区から福建省軍はすでに退散していて、広東から北上した敵の諸部隊は毛沢東の絶え間ない攻撃に、疲労困憊(こんぱい)して撤退していた。しかし、こんどは毛沢東がマラリヤにかかっ…

強力な敵との苦しい闘争時代 『偉大なる道』第7巻①ー19

福建省の西南部や江西省の南部では人民は依然として闘いつづけていたが、いまや非常に苦しい時代がやってきた。主要な町や都市はすべて、強力な敵の諸部隊に占領され、人びとは村々へ逃げのびて、数少ない貴重な文書を地面に埋めてかくさなければならなかっ…

戦没者大慰霊祭での朱徳の演説 『偉大なる道』第7巻①ー18

寧都の勝利は、一時的なものにすぎなかった。この町の占領して2週間後には、紅軍はふたたび行軍を開始した。北方から三個師団の敵軍が血に飢えた目つきをして、圧迫を加えてきた。紅軍はまず、寧都のソビエトと多くの人民組織が山地の村々へ撤退するのを援助…

寧都で毛沢東と合流 『偉大なる道』第7巻①ー17

「さあ、きけ!」と朱徳はこの小男にむかっていった。「われわれは、おまえを銃殺の刑にするのが当然なんだが、もし、われわれの命令に服従するなら、そうはしない。石城のおまえの家には、たくさんの小銃、機関銃、弾薬箱があるし、農民からまきあげた莫大…

寧都で捕虜にした臆病な大佐 『偉大なる道』第7巻①ー16

朱徳はいつも暇を見つけては、捕虜になった敵兵と話をした。寧都の捕虜はひどく貧しくて、文盲で、素朴な心情をもった農民ばかりであった。彼らは、朱将軍の言葉によると、「鉄砲の撃ち方のほかは、何ひとつ教えられていなかった」この敵連隊の兵士たちみな…

寧都占領と悲惨な囚人たちを釈放 『偉大なる道』第7巻①ー15

数週間にわたって、東奔西走し、南北に敵を粉砕しながら、ついに朱徳は、堅固な城壁をめぐらした寧都の町にむかって北進した。彼は、かつて一発の弾丸もうたずに、この町を占領したことがあったが、今度は、国民党の将校レイ・シー・ニン大佐が、完全装備の…