Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

『偉大なる道』第七巻(改編)

指導者たちに渦巻く旋風 『偉大なる道』第7巻①ー14

かろうじて死をまぬがれ、疲労こんぱいし、目を血ばしらせて、朱徳のもとにたどりついた農民もたくさんいた。あるものは、息子や兄弟を殺されたはげしい悲しみに泣き、あるものは、憎しみをこめた声で、「わしにも、たたかわせてください!」といった。朱徳…

「朱毛」に鼓舞される農民 『偉大なる道』第7巻①ー13

農民たちの呼び方でいうと「百頭」地主どもは、大きな町や都市に住み、堅固な城壁に囲まれてきわめて安泰に君臨していた。その城壁の内側では、これらの地主は、役人であり、裁判官であり、陪審員であると同時に、死刑執行人であり、かつ民団や地方省軍守備…

江西南部の悲惨な暮らし 『偉大なる道』第7巻①ー12

さて、地主の民団や地方軍と戦いながら、江西南部じゅうを進撃してまわった旋風作戦の話をしているとき、朱徳の社会学者としての一面が顔を出してきた。これらの地方では、農民たちは、ぼろぼろにくすれた城壁にかこまれた小さい村々に住んでいたと彼はいう…

瑞金会議で立案された作戦 『偉大なる道』第7巻①ー11

さて、瑞金会議は、毛沢東議長のもとに2つの独立した軍事的、政治作戦を立案した。第一の作戦は、朱徳と毛沢東の指揮下に、江西省の南部および中央部の反革命勢力を粉砕して、福建省西部もふくめて、これらの地域を中央革命基地に転化するという計画であった…

人民の武装をめぐる対立 『偉大なる道』第7巻①ー10

このようなありし日の思い出を回想していた朱将軍は、「トロッキストと、右翼日和見主義者の一味」の活動に関する上海報告書のひとつを思い出した。これらの、かつての共産党員たちは、――と彼はいった――、共産党、あるいは特に朱徳と毛沢東が、「民主主義革…

上海の共産党中央委員会からの報告書 『偉大なる道』第7巻①ー9

外界との通信連絡が確立されたので、朱徳と同志たちは、もはや自分たちは暗闇の中で行動しているのではないと感じるようになった。薄いライスペーパーに、顕微鏡で見ないとわからないような細字で書かれた、上海からの報告書は、海外においても、帝国主義諸…

彭徳懐の井岡山での悲惨な報告 『偉大なる道』第7巻①ー8

1月のはじめに、朱徳と毛沢東が井岡山を出発してから、敵は、この要塞への封鎖を圧縮してきただけでなく、最後には奇襲をかけてきた。一人の敵兵がえらばれて、腰のまわりに綱を結んで、絶壁を正面からよじのぼってきた。彼は頂上に達し、つぎつぎとほかの兵…

上海と彭徳懐からの使者 『偉大なる道』第7巻①ー7

汀州は、あきらかに、中国革命史上の転換点だった。上海にあった共産党中央委員会からの使者が、国内や国際情勢に関する報告書と別の種類の重要書類を持ってやってきたのは、まさに、この汀州の町であり、占領から2,3日あとのことであった。これらの文書のな…

汀洲のミシン工場と紅軍の制服 『偉大なる道』第7巻①ー6

2つ目として、朱徳は小さい日本製の兵器工場のことも思い出した。この工場は、クオ将軍の弾薬の大部分を補給していた。この作戦で鹵獲(ろかく)した兵器のうち、2千丁の小銃と「数十丁の機関銃」は、すべて新品で、これまた日本製であった。 しかし、なによ…

汀州を占領 『偉大なる道』第7巻①ー5

この最後の戦闘のまっただ中に、ひとりの哨兵が、朱将軍の司令部にかけこんできて、大声で報告した―― 「立派な軍服を着て、贅沢品を身につけた太った大男が、小舟で川をわたって、逃げようとしましたが、殺されました!」 太った大男とは、まさしくクオ・フ…

汀州の匪賊の軍を武装解除 『偉大なる道』第7巻①ー4

汀州は、もと匪賊の頭目クオ・ファン・ミンに統治されていた。彼は、匪賊として成功し、大地主になり、国民党の将軍になった男である。クオの部隊は、国民党軍に編入されてはいるが、その大半が職業的匪賊であり、アヘン吸引者だった。彼らを、汀州の城壁か…

神出鬼没の紅軍がとった戦術 『偉大なる道』第7巻①ー3

疲労こんぱいの限界にたっしていた紅軍の将兵にとっては、この8日間というのは、休養するにしてはあまりにも短い時間であった。けれども、東固についてちょうど8日目の晩、月が高く中空にさしかかった頃、朱徳と毛沢東は、3千の部隊をひきいて東側の斜面を…

敵内部の衝突と矛盾の利用 『偉大なる道』第7巻①ー2

朱徳も毛沢東も、あるいはほかのどの指揮者も、兵士たちと同じ格好をしていたので、まったく区別がつかなかった。1929年の夏、朱徳をうつした色あせた古い写真がある。一個中隊の兵隊が、輪になって地面に腰をおろし、膝のあいだに銃をおき、昂然と顔をあげ…

人民解放軍の萌芽だった小さな紅軍 『偉大なる道』第7巻①ー1

1929年の華南の早春、東固台地に集結していたこの小さな紅軍は、農民たちから「貧乏人の軍隊」とよばれていたが、実際ほとんど軍隊とは思えないような格好をしていた。しかし、この軍隊こそ、20年後に、全中国に広く名を知られ、世界をふるい動かした、偉大…