Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

『偉大なる道』第二巻(改編)

辛亥革命からの学び 『偉大なる道』第2巻④ー11

彼は、外国にも共和中国に同情を寄せ、孫博士を支持した市民がいたことは信じている、といった。だが彼は、亡命中のロシア革命の指導者V・I・レーニンが、まだ孫博士が大総統だったころに、ジュネーブで発表した文章においてとった立場を知るだけだった。 レー…

辛亥革命の挫折 『偉大なる道』第2巻④ー10

朱徳と同志たちは、四川省で小さいながら必要な仕事をしていたが、孫博士が袁のためにゆずるといううわさには耳をうたがった。袁とは札付きの帝政派であり、1898年には改革運動を裏切り、1908年には改革派の皇帝を毒殺した悪党ではないか。皇帝への忠誠の誓…

列強と国際借款団による干渉 『偉大なる道』第2巻④ー9

孫逸仙の南京の同志たちは、そのような意図に賛同しなかったばかりか、多くは外国帝国主義者たちのまねすらして、彼を「非現実的な夢想家」と呼んだ。このような立場から、彼らは、新たな「善後借款」について、また共和国政権自身についての無惨な妥協すら…

孫逸仙、臨時大総統就任 『偉大なる道』第2巻④ー8

その時期に起こった事態が、彼の心に深い印象をきざみつけ、その後の彼の思想を形成する力になった。それを彼は次のように説明した。 1911年12月、共和派の各省代表者会議が南京でひらかれ、孫逸仙博士が最初の共和国臨時大総統に選ばれた。委員会がつくられ…

四川省で共和派軍政府樹立 『偉大なる道』第2巻④ー7

雲南遠征軍は計画にしたがって行動していたのだが、予期される成都と重慶での蜂起の知らせは、いっこうに入ってこなかった。それで、軍は成都に向かって急進撃することになり、自流井の大塩井地帯に入り、さらに進んで、満州人将軍の端方の軍が来つつある、…

四川への遠征 『偉大なる道』第2巻④ー6

雲南革命派は喜びにひたっている暇はなかった。蜂起の数週間前に、指導者たちは、四川に遠征軍をおくって、まだ満州政権を打倒できないでいる革命軍を助ける計画を立てていた。軍官学校の候補生のうち、他の省からきていたものは、前々からそれぞれ出身の省…

雲南共和政権樹立 『偉大なる道』第2巻④ー5

夜が明けてみれば、中隊をひきいた朱は、反革命派の最後の拠点であった総督ガ門のまわりの防塞の前に布陣していた。守備隊の機関銃中隊のひとつの指揮官リ・フェン・ローは、部下が戦うことを禁じた。朱徳の中隊は、ガ門をめぐる塁壁を他の一隊とともに最初…

雲南軍蜂起 『偉大なる道』第2巻④ー4

「じつにたいへんな混乱がおこった。騎兵たちは、やたらに駆けまわって、むちゃくちゃに射ちまくり、わが方の騎兵がこれを狩り立てていた。兵隊は走りながらわめいていた。わが方の哥老会の兵は、騎兵連隊内の血盟の兄弟にむかって、やってこいと呼びかけた…

最高指揮者蔡鍔准将 『偉大なる道』第2巻④ー3

計画は裏切りによってもれたので、新たに命令を出して、新軍の全部隊は9時に首都に向かって進撃せよということになった。 「われわれは、いったい何が起こっているのかはっきりとはわからなかった」と朱将軍はいった。「ただ、非常に緊迫した空気だったので…

雲南軍の蜂起前夜 『偉大なる道』第2巻④ー2

武昌蜂起の直後、朱徳は同盟会から新しい指令を受けた。それは、近くの村に司令部がある旧式雲南軍の師団長の護衛兵のなかで、政治的煽動をせよというのだった。危険な仕事だったが、朱はこのときも、護衛兵のなかの哥老会員の兵士たちに接触した。彼らは血…

軍官学校卒業後蔡鍔将軍の旅団に転任 『偉大なる道』第2巻④ー1

そのつぎに、生涯の回想のつづきを語りにきたとき、朱将軍の口からもれたものは挫折と危難の物語であった。1911年7月には、彼は軍官学校を卒業して少尉になったが、そのころには、帝政派は若い士官たちを恐れていて、彼らには軍隊の指揮はとらせず、ただ「見…

袁世凱の復活 『偉大なる道』第2巻③ー14

朱将軍は、外国人が満州人の端方将軍に寄せた希望を思い出した。当時は揚子江岸の武漢地区で鉄道のことをつかさどっていたが、北京政府は、彼に、兵をひきいて四川を征伐するために出発せよと命じた。端方は、四川の東境に到着すると、布告を出して、わが指…

鉄路借款への抗議活動 『偉大なる道』第2巻③ー13

朱徳は、四川人連隊の兵士たちとこの憎悪の的の借款について長時間話し合った。清朝は、おのれの死亡書に署名をしたのだ、と彼はいった。1911年の7月になると、四川省は反乱にわき立っていた。商人、産業資本家、学生、知識階級などが、成都の総督の役所の前…

鉄路借款への国民的反感 『偉大なる道』第2巻③ー12

「広東蜂起は、のろわれた鉄路借款をとどめようとする最後の努力だった」と朱将軍は説明した。それは1911年の3月末か4月はじめに起こることになっていた。世界のいたるところから、数百人の同盟会指導者たちが3月に広東に集まりはじめ、孫逸仙は、海外の中国…

鉄路借款と幣制借款 『偉大なる道』第2巻③ー11

では、いったいどういうふうにして国を売っているのか? それはたとえば、英、米、独、仏の銀行屋どもが、北京政府に押しつけてくる鉄路借款を見ればわかるだろう。引きかえに、彼らは国のすみずみまで鉄路をしく権利を要求する。鉄路は、国のためにはいいも…

国境の町河口での反乱 『偉大なる道』第2巻③ー10

「危機はすすんでゆき、国は苦境でうめいていた」ので、兵士たちと国事を語るには事を欠かなかった。そのころ彼らは、国境の河口(かこう)の町での、同盟会が指導する反乱について話し合っていた。四川人連隊はその河口に進発して、国境守備隊を補強し反乱…

哥老会への加入 『偉大なる道』第2巻③ー9

新式軍隊が革命運動の弾圧に使用されたことを見て、同盟会は、孫逸仙博士からの指令によって、新式軍隊の中で秘密裏に政治工作せざるを得なくなった。朱徳は同盟会によって、四川人連隊での工作をさせられたときに、そうした指令を知った。それは危険な仕事…

哥老会と同盟会 『偉大なる道』第2巻③ー8

「そのころ、わが民族はこのうえない悲惨におちいっていた。多くの洪水、かんばつ、飢饉があったが、とりわけ最大の災害は王朝だった。絶体絶命からのもがきが、目に見えてきだした。あちこちで、哥老会にひきいられた飢えた農民たちが、地主、税吏、政治機…

軍官学校で同盟会に加入 『偉大なる道』第2巻③ー7

朱徳が軍官学校に入ってから数週間もたたないときに、同じクラブに属していた候補生のひとりが、「同盟会」に参加しないかといった。朱は承諾し、ただちに忠誠の血盟をして加入した。 この共和主義の秘密組織は、学内にふたつの支部をもっていた。教官たちは…

蔡鍔 『偉大なる道』第2巻③ー6

教官のひとりである蔡鍔(さいがく)准将は、省総督の信頼を受けた青年将校だったが、もしこの人がいなかったならば、中国の歴史の流れはかなり違ったものになっていたであろう。蔡鍔は、その当時まだ27歳で、朱徳よりわずか4つ年上でしかなかったが、夢でし…

雲南軍官学校に合格 『偉大なる道』第2巻③ー5

「そのときに、私は、あっさりといままでの名を捨てて、「朱徳」という新しい名で申告した。出生地は雲南省のある市としたために、私は雲南省人だと伝えられることになってしまった。私はみじかい期間、一兵卒としてつとめ、基本的訓練を受け、兵としての義…

軍内の帝政派士官 『偉大なる道』第2巻③ー4

新制第十九師は、クルップ製ライフル銃、機関銃、野砲を装備していた。満州人の総督は、これで起こりくる革命運動から朝廷を守ろうと考えていた。北京の朝廷は、華北人の高級士官を送ってきたが、彼らは帝制派であり、重要な地位につき、危険分子の疑いがあ…

呉三桂の遺跡を訪問 『偉大なる道』第2巻③ー3

返信を待つあいだ、ふたりは雲南の町や近郊を熱心に見物し、中国の農民と山岳民族のロロ族やシャン族がごった返す市場もたずねたことがあった。彼らは、自らを近代的な解放された青年と思ってはいたが、結局は、その時代の子であり、つまりその時代の知識の…

雲南のアヘン中毒者 『偉大なる道』第2巻③ー2

故郷をできるだけしっかり見ておきたいという思いから、この旅人たちは、主だった街々では何時間か舟をとめたが、やがて揚子江岸の宜賓に上陸した。あくる朝、寝具と衣類を巻いて肩にかけて、大江をわたって、山に登りはじめた。狭い小道は山腹に絹の糸のよ…

ジャンクで四川省脱出 『偉大なる道』第2巻③ー1

1908年の12月半ばに成都に踏みいった若者は、2年前のぶざまではにかみ屋の百姓のせがれではなかった。もはや22歳であり、経験もつみ、自信もあった。といっても、世なれた男というところまではいっていない。心につらい痛手も受けた。そのころから数年間の彼…

家族からの追放 『偉大なる道』第2巻②ー14

家は、これから彼の送金を頼りにすることができなくなるので、朱徳は、成都に向かう前に帰郷して事実をつげようと決心した。家族たちは、恥をおそれて、息子が軍隊に入ることは隠しとおすことはわかっていた。彼は、雲南軍官学校を出て俸給をとるようになり…

雲南省の軍官学校入学を志願 『偉大なる道』第2巻②ー13

朱将軍は、儀隴県での経験は、封建勢力がいかに動くかという知識と積極的闘争への自信を彼にあたえたことで、生涯のうちでもっとも貴重なもののひとつになったといった。彼の知識と視野は広まってゆき、一方で国事がさらに危急存亡の時を迎えたとき、彼は「…

新教育を受ける権利闘争 『偉大なる道』第2巻②ー12

「もうそのころには、私たちの評判はすごくよくなり、支持者が格段に増え、学校には70人ばかりの生徒がいた。旧弊派は、法廷で敗れ、世論も彼らを悪くみていることがわかると、あらゆる卑劣な手段をとりだした。ごろつきをやとって、糞尿の桶を学校の前でぶ…

封建勢力からのいやがらせ 『偉大なる道』第2巻②ー11

朱将軍がいうには、この戦線はまもなく「旧式学校から、家庭や町の通り、商店、茶館、寺へと広がっていった。私たちは、人間の屑で、いうにいわれない理由で結婚もしないやつだといわれた。召使の女のようなものたちまで、道で私たちを見ると逃げ出し、男た…

旧式学者対新学問 『偉大なる道』第2巻②ー10

朱将軍の説明によれば、成都のような大都会では、「封建勢力は退潮しつつあったが、いなかでは、郷紳と彼らの同盟者たちが、まだ王者の威厳をふるっていて、あらゆる思想と行為を上から統制し、法廷と警察と地方軍を支配していた。旧式学者は、そういう家族…