Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

『偉大なる道』第五巻(改編)

蒋介石と宋美齡の結婚 『偉大なる道』第5巻②ー14

「1927年の7月中旬までには、大革命の幕はとじた。左派の革命家たちは、ロシア人顧問とともに逃亡し、流血は河となり、将軍たちは、そむいたり、したがったりのくり返しで、いたるところ混沌たる騒乱だった。蒋介石は、覇権に近づきつつあり、新旧の軍閥を手…

故孫逸仙夫人宋慶齡の声明と亡命 『偉大なる道』第5巻②ー13

「国民党左翼政治家と軍人は、上海の虐殺とともに開始された反動攻勢に対して、労働者農民の支持をもとめて戦おうとしないどころか、大衆運動を弾圧しはじめた。いままで漢口政権の骨肉になったものは人民の運動にほかならなかったのに、すでに7月の中ごろに…

国民党左翼の汪精衛の変節 『偉大なる道』第5巻②ー12

上海虐殺の直後に、共産党は第5回大会を漢口で開いた。朱徳は出席しなかった。主要な国民党員は出席して、会場で発言したが、その中には、最近ヨーロッパから帰ったきた漢口政府首席、汪精衞もいた。しかし、汪は漢口にあらわれる前に、上海で蒋介石と秘密の…

蒋介石、南京に軍事政権組織 『偉大なる道』第5巻②ー11

虐殺が終わると、蒋介石は、青幇の親分を、新しくつくられた労働組合の書記長に任命した。この男が、後には蒋介石の軍の政治主任になった。青幇の暴力団員どもは、何大隊かに組み分けられて、揚子江の下流地方の、村や町や都市に派遣され、そこで彼らの虐殺…

軍事独裁政権を求められた蒋介石 『偉大なる道』第5巻②ー9

朱徳の説明によると、もはやこの時には、革命をつぶそうとする国際的陰謀は、世界のあらゆる帝国主義国の首府から、上海にむかって毒手をのばしており、外国人たちは、いつのまにか、蒋介石は結局は「過激派」ではなく、じつに善良な人物だといい出した。「…

南京事件(1927年)後の蒋介石 『偉大なる道』第5巻②ー8

2日後の3月24日、蒋介石軍の他の一支隊は、南京に突入して、無数の敵軍を、市中に追いまわした。敵軍は逃げながら掠奪を始めたのだが、まもなく蒋介石の軍隊も――その多くは軍閥の軍から寝返ってきたものだから、――いっしょになってしまった。そこで巻きおこ…

周恩来、上海ゼネストを組織 『偉大なる道』第5巻②ー7

ちょうどこの蜂起が崩壊し恐怖に支配されていたころ、イギリスの特別遠征隊が、アメリカ、フランス、日本の陸戦隊とともに上海に上陸した。そのころ蒋介石の軍も、上海に集結しつつあった。彼らの上陸の3日後、――2月19日に、上海の労働者はストライキに入っ…

軍閥から共産党員になった劉伯承との再会 『偉大なる道』第5巻②ー6

国民党右翼のものも、秘密の組織をつくり、南昌では孫文主義学会といっていた。ひとたび孫逸仙が亡くなると、生前には彼の政策を非難していたものも、彼の名のかげに隠れる方が便利だと考えた。南昌の国民党右翼の孫逸仙クラブは、まもなく反革命の秘密本部…

南昌での朱徳の忙しい日々 『偉大なる道』第5巻②ー5

南昌における反動派は、数からいえば弱小だったが、政治的には強力であった。というのは、彼らは、高級軍人や、官吏や、豪商や産業資本家であり――そのうちの多くは、同時に地主でもあった。大衆運動をさしはさんでの、国内戦線の分裂が激しくなるにつれて、…

朱徳、新軍官学校校長に就任 『偉大なる道』第5巻②ー4

朱将軍と40人の政治委員が楊森の軍から脱出して武漢についたのは、「鉄軍」が再編成をおえて、軍閥呉佩孚の傭兵を湖北から放逐する準備をしていた、その直後だった。その当時、この軍の兵士のうち約30%は共産党員であり、政治部の強力な浸透方策は、さらに…

鉄軍の指揮官葉挺と賀竜 『偉大なる道』第5巻②ー2

1926年の末に武漢で「鉄軍」が再編成されたとき、その一軍団――第四軍は、張将軍の部下黄キ翔が指揮し、他の二軍団、つまり十一軍と二十軍は、共産党員葉挺と賀竜将軍が指揮した。 葉挺は香港の裕福な家の、慎重で穏健な息子だったが、希望して外国に留学して…

鉄軍に集まる兵と指揮官たち 『偉大なる道』第5巻②ー1

「鉄軍」を朱徳は熱愛していて、彼はそれについては、感激なくしては語ることができなかった。北伐軍が1926年中ごろに広東を出発したときには、6万人であったが、武漢に到達するまでに20万になっていた。「鉄軍」は、第四軍とも呼ばれていたが、二個師団と独…

軍閥楊森の裏切り 『偉大なる道』第5巻①ー16

朱は、軍閥どものやり方はよく知っていたので、以前から親しくしていたひとりの参謀に目をつけて、何度か会って、長く話しこんだ。するとわかったことは、朱が武漢に出かけた留守のあいだに、楊は呉佩孚からきた代表と秘密交渉をしていたということだった。…

軍閥楊森の胸の内 『偉大なる道』第5巻①ー15

ちょうど朱将軍が政治委員たちを連れて出発したころ、蒋介石は、ふたたび国民党中央委員会で勝利をおさめたのち、南京上海の占領計画を実現するために、下流に向かった。一方、朱徳は万県につき、ただちに楊森将軍の司令部に行って、辞令――この軍閥の軍を国…

毛沢東と陳独秀 『偉大なる道』第5巻①ー14

朱徳は、そうした悪辣(あくらつ)な暗流について鄧演達たちと語るとき、ふたたびむかしの悲観にとらえられそうになるのを感じた。こうした絶望不安のどん底から、彼は手を差し伸ばして、おぼれる人間のように、ヨーロッパ時代に研究した革命理論によりすが…

国民党中央委員会vs蒋介石 『偉大なる道』第5巻①ー13

とにかく、1926年の初冬に武漢に到着した朱は、課せられた特殊任務をはたさなければならなかった。四川に送られたのは、楊森将軍の軍を中立化させるか、民族闘争に引きいれるか、というためだった。彼はその使命をはたして、楊森が国民革命に忠誠を誓う使節…

中国共産党、国際共産党の政策に反対 『偉大なる道』第5巻①ー12

そのときにも、また後日にも、朱徳は、革命軍の諸軍団司令部に配置されていたロシア人顧問のことを、重視したことは一度もなかった。彼は彼らをほとんど知らないし、やっとあとになって、二人だけ蒋介石といっしょにいるところを、遠方から見ただけだ。それ…

蒋介石の変節 『偉大なる道』第5巻①ー11

蒋介石は、そのほか多くの要求を国民党に向けて出してきた。軍のなかにある政治部は、国民党内の政治的勢力を軍人の上におくための力だったが、蒋介石や多くの将軍たちには脇腹に突きささるトゲでもあった。隊内の政治委員は、ほとんど副司令官といえるもの…

北伐軍に鼓舞される農民運動 『偉大なる道』第5巻①ー10

北伐軍が広東を出発して、湖南の平原に入ったとき、その勢いに応じて農民はたちあがって、地主の傭兵「民団」の武装を解除し、村々を占領して、地主どもを追っぱらった。国民党の、土地改革――小作料の軽減や高利の禁止など――の約束などは当てにしないで、多…

毛沢東の農民運動についての論文 『偉大なる道』第5巻①ー9

自分が農民出身だったので、彼が注目したのは農民運動だったが、それは中国南部に大洪水のようにひろがって、幼い労働運動とともに、国民軍の高級士官――彼らは、地主だったり、地主や商人の買弁の家族出身だった――を、恐怖におとしいれた。 朱将軍は、毛沢東…

英帝国主義への労働者や学生の怒り 『偉大なる道』第5巻①ー8

英帝国主義は、北伐軍の後方をかく乱するためにあらゆる術策を弄したのみならず、敗北する呉佩孚の援助のためには手段をえらばなかった。また彼らは、孫伝芳を支援して、現金1千万ドルを与え、また北方軍閥の力を維持し国内の秩序をみだすため、2千万個の弾…

英国による万県事件への怒り 『偉大なる道』第5巻①ー7 

「ちょうどこの危機の時に」と朱将軍はつづけて、「一隻のイギリス商船が揚子江をさかのぼってきて、万県の前面に碇泊したので、慣例によって、楊森将軍の税官吏は、しらべるために向かった。その税関の小艇が近づくと、銃火があられのようにふりそそいでき…

北伐軍の内紛とゆれる楊森将軍 『偉大なる道』第5巻①ー6

「鉄軍」が武漢を奪取したのちにも、楊森は狐疑逡巡していたが、まもなく朱は、その理由がわかった。湖南や武漢三市から逃れてきた地主や産業家が、彼の司令部に来ては、北伐軍の内部は大きく二つに割れているといううわさを伝えた。彼らは楊に、北伐軍の士…

鉄軍の指揮官と政治指導員の活躍 『偉大なる道』第5巻①ー5

楊は、朱の言葉が心にしみてこなかったのか、しばらく、どっちの側が勝つのかと、形勢の観察をつづけた。くる日もくる日も、朱は楊に、国民党の運動の意味についてかたり、同時に、革命軍の勝報もながれこんできた。北伐軍は、何百万人の農民と労働者の蜂起…

東四川の軍閥楊森将軍との再会 『偉大なる道』第5巻①ー4

漢口での使命もやりとげたので、朱将軍はふたたび船に乗り、数日後には東四川の万県に上陸した。楊森将軍の司令部にいき、国民党代表としての信任状を楊に提出した。 「楊は、私を、友人で旧友であるかのように迎えた」と朱将軍はにがい表情をしていった。 …

四川省の軍閥の動向 『偉大なる道』第5巻①ー3

西の四川省は、いまも、劉湘と楊森の二人の軍閥がおさえていたが、楊は、彼の同盟者によって重慶から追いはらわれ、1万人ほどの軍をひきいて万県に司令部をおいて、東四川一帯を食い物にしていた。昔の同盟者の手で弱体化されたので、揚子江流域の呉佩孚(ご…

北方の軍閥の勢力範囲 『偉大なる道』第5巻①ー2

閘北の目的地につくと、朱徳は一軒の家の表口から入って、裏口に通りぬけ、さらにもう一軒、もう一軒、と同じことをくりかえし、最後に、一団の人々が待つ部屋に入る。やがてそこを辞して、共同租界に帰り、あたえられた任務にかかる。むかしの雲南軍時代の…

上海の目覚めた人々と北伐の準備 『偉大なる道』第5巻①ー1

1926年の7月中旬のある日、朱徳は上海の共同租界の街路を用心深く歩いていた。ゆき先は、租界に接する閘北という中国人街で、そこでは、全中国の労働組合と共産党と国民党が、地下の本部を維持していた。彼は、すでに一度、共産党の書記長陳独秀と会見してい…