Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

『偉大なる道』第八巻(改編)

指揮官からの簡潔な報告書 『偉大なる道』第8巻③ー9

朱将軍は、彼が収集保存していた紅軍の歴史文書の中から、その当時の野戦指揮官の報告を取り出して見せた。その多くは、小説家が想像力をたくましくしてつくりあげたものよりも刺激的だった。たとえば、彭徳懐将軍の報告は、驚くほど緊密な軍事的社会的記録…

国民党軍の鬼畜化戦術と紅軍の情報網 『偉大なる道』第8巻③ー8

「敵の第二次掃共戦で、われわれにわかったことは、国民党の指揮者らは、兵士がわが軍に投降することを恐れるようにするために、暴行、放火、掠奪、殺人を命じて、彼らが鬼畜化することを試み、部分的に成功していた、ということだった。この方法によって、…

槍だけで武装した赤衛隊の働き 『偉大なる道』第8巻③ー7

朱将軍は、赤衛隊――農業生産を助け、主に槍だけで武装された人民義勇軍に、深い敬意をささげた。その槍は、山の森林内の白兵戦では、しばしば銃よりも強力であった。正規の農民パルチザンは強靭な青年で編成されていて、赤衞隊よりいい武器を持っていた。彼…

朱徳、第二次掃共戦を概括 『偉大なる道』第8巻③ー6

建寧を奪取した紅軍は、一部の戦闘部隊を残しておいて、旋回して、敵の堡砦(ほうさい)線に沿って、道々その堡砦を破壊しながら、引き上げていった。その線の両側に、広汎な新地域を獲得したので、政治工作員は、それをソビエト地区に「固める」仕事にとり…

建寧で国民党第六路軍と会戦 『偉大なる道』第8巻③ー5

どの道すじをいってみても、農民たちが、わが軍や敵軍の負傷兵を、後方にはこんでいるのが見えた。あるものは、家の戸や板に縄をつけて担架をつくり、あるものは、負傷者を背負ってはこんでいた。負傷兵は敵味方分けへだてることなく扱えという指令に農民た…

敵兵に洪水のように押してゆく部隊 『偉大なる道』第8巻③ー4

朱徳の声は、農民たちのすばやくて徹底的な仕事ぶりを思い出したとき、畏怖のひびきに似たものをつたえた。アリのように群がって、かごや、水牛が引くガタガタ車をいっぱいにみたし、女や子どもは、丹念に、米の最後の一粒までも手ですくい取った。年寄りと…

水南の城壁へ進撃 『偉大なる道』第8巻③ー3

さらにその夜に、報徳懐からの報告を持った伝令が到着した。これは第二番目の伝令だった。最初の伝令は捕えられ、殺された。さて、彭の紅軍第三軍団は、二日二晩、敵軍第四十三師団――北方からきた軍――の前面と背面の両方に猛攻を加えて、山上の堡砦(ほうさ…

敵の攻撃の前に吉安地方へ強行軍 『偉大なる道』第8巻③ー2

敵の攻撃が開始される――朱徳はその正確な日時を知っていた――その前の三日間の夜のあいだ、紅軍の本隊は、吉安地方の敵の背面にむかって強行軍をおこなった。敵の爆撃をさけて、夜だけ行進し、月のある夜にたたかった。暗い夜には、夜明けに攻撃した。 戦闘は…

国民党軍による第二次掃共戦 『偉大なる道』第8巻③ー1

5月のはじめに、南京政府の軍政部長何応欽を最高指揮官とする15万の国民党軍は堡砦線の後方の陣地についた。その堡砦線は、そのときには、西は吉安から東は福建省の建寧まで、ジグザグに江西省を走り、その長さは約7百里、つまり約250マイル(400キロ)に及…

文盲退治、無電学校設立 『偉大なる道』第8巻②ー6

「われわれはまた、軍隊のために軍事と政治の定時講義をし、文盲退治の運動をいっそう強化した。外部から多くの知識階級出身者が入ってきて、われわれを助けた。しかし、まだその数は足りず、われわれの軍医部隊は貧弱であった。上海から印刷工、そのほか多…

全中国ソビエト大会の準備 『偉大なる道』第8巻②ー5

「1931年の3月はじめに、われわれは、上海で秘密にひらかれた党の第4回代表者会議で通過した決議を受けとった。われわれもその会議に代表をおくった。そしてその会議で李立三の方針が否決され、われわれの方針が確認された。その時にわれわれが受けとった決…

あらゆる種類の民衆活動と結びついた軍隊 『偉大なる道』第8巻②ー4

「またわれわれは、全ソビエト地域にわたって、空襲警報の施設を作ることにしたが、わが軍の中の鉱山労働者から組織した技術部隊は、高度の技術をもつ熟練者のむれだったので、爆弾の製法や使用法はいうにおよばず、多方面の能力をもっていた。そのうちの多…

深刻な食糧危機 『偉大なる道』第8巻②ー3

「第1回の敵の作戦を撃破したのちに」と朱将軍はつづけた。「われわれの軍は広い地域に拡散した。彭徳懐は北方の前線を占拠していたが、そこには新しく2つの県が加えられていた。彭は、城市南豊から許克祥将軍を追っぱらったが、その許は、『農民殺し』とよ…

朱徳と読書 『偉大なる道』第8巻②ー2

まだほかにも仕事はあった、と言葉をつづけ、将兵に軍務がないときには、農民を手伝って、春には土地をすき、種をまき、秋には収穫をしたと語った。朱将軍も、できるかぎり農作業を手伝ったが、それは「私の健康を保つには最上の手段だった」紅軍の慰安や文…

1931年の朱徳のある一日 『偉大なる道』第8巻②ー1

そのつぎに朱将軍が、生涯の話を語りにきたときに、私は提案して、1931年の典型的な一日をえらんで、その日の朝から晩まで何をしたか、話してくださいといった。 しばらく考えてから、彼は答えた――ある一日にしたことすべてを思い出すことなんて無理だが、で…

蒋介石による報復と新しいテロ 『偉大なる道』第8巻①ー8

何週間かすぎたころ、上海の共産党中央委員会から一人の使者が、朱将軍の司令部に来た。持参した手紙によると、蒋介石が張将軍の釈放を請い、その代償として多数の政治犯を釈放し、20万ドルを払うといっていた。 「処刑したことを、われわれは後悔した」と朱…

傲慢な張将軍の最期 『偉大なる道』第8巻①ー7

朱将軍と、捕えられたばかりの張輝サン将軍との対談は、そのまま劇になるようなものだった。とらわれの将軍は、階級の記章でかざられた、すばらしいカーキの軍服を着て、ピカピカの黒長靴をはいて、朱徳の司令部に送りこまれてきた。そこで彼は、まるで苦力…

捕虜になった張将軍 『偉大なる道』第8巻①ー6

午前中に第十八師団の千名が殺され、9千名が捕虜となり武装解除された。張将軍と彼の参謀以下すべての士官がその捕虜の中にふくまれていた。鹵獲(ろかく)品は、小銃8千、そのほか、軽、重機関銃、追撃砲その他の小野戦砲、第十八師団の精密な無電機――技術…

紅軍内部での情報交換と情報共有 『偉大なる道』第8巻①ー5

紅軍の通信機関はすぐれていて、司令部の伝令は、みな若い農民で、きわめて敏捷だった、と朱将軍はいった。 朱徳と毛沢東は、12月29日午後8時に、明け方に開始される予定の戦闘に関する詳細な命令を発した。その命令は、あらゆる戦闘本部隊と予備部隊にあた…

張将軍との決戦決意 『偉大なる道』第8巻①ー4

朱将軍がいうには――いかに包みかくそうとも、紅軍は、国民党軍がこの反乱者にたいして何の行動にも出なかった、という明らかな事実を見抜いた。しまいには、東固の農民たちは、事実を知って、逃亡して元の部隊に帰ってきたのだが、そこでは彼らは、迎え入れ…

紅軍内部の反逆行為 『偉大なる道』第8巻①ー3

この決戦の話をする前に、朱将軍は、寄り道をして、紅軍内部での反逆行為のことを話したが、それは、もう少しのことで、形勢を一変して敵に利するものになっただろう。何週も続く戦闘の最中に、ある地主の息子のリュウ・チ・ツァオというものが、東固の農民…

吉安撤退計画 『偉大なる道』第8巻①ー2

10月中旬、朱徳と毛沢東と同志たちは、吉安北方の彭徳懐の司令部で軍事会議をひらいた。そこで、吉安を撤退することを決定した。というのは、2倍もの数の敵にたいして、その市を死守するための犠牲に耐えられない、と判断したためであった。彼らが、軍の主力…

1930年、蒋介石による紅匪討伐計画 『偉大なる道』第8巻①ー1

その1930年の10月末、いよいよアカを絶滅するという壮挙がおこなわれることになり、上海そのほかの中国の大都市では、沸きかえるさわぎだった。北方の敵を征服して帰ってきた蒋介石は、時の英雄だった。いまや彼は、自分の10万の精鋭を江西の「紅匪」に向け…