Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

『偉大なる道』第十一巻(改編)

八路軍と新四軍の反撃作戦 『偉大なる道』第11巻③ー5

「われわれ自身のことをいえば、われわれは西太后とか袁世凱、段祺瑞などといった『指導者』の系譜に名をつらねたくない。もし蒋介石にそれらの指導者たちがなぜ失敗したかがわからなければ、彼の名も間もなくその列に加えられるだろう。満州族は、専制的な…

『靴屋でも三人寄れば諸葛亮』 『偉大なる道』第11巻③ー4

スティルウェル召喚のあとを、アルバート・ウェデマイヤー将軍がついだとき、アメリカの対中華政策が変わってきた。蒋介石と国民党右翼にとっては青信号が出たのである。『ニューヨーク・タイムズ』特派員のブルックス・アトキンソンがいっているとおり、ア…

スティルウェル将軍、蒋介石の要請で本国へ召喚 『偉大なる道』第11巻③ー3

延安で朱徳将軍と会談した外国人記者たちは、彼のことを、言葉数はすくなく、考えは軍人風に精密で、連合国の反撃を援助する計画について率直に話してくれた、と書いている。 延安は、アメリカその他連合国の軍事視察団を歓迎し、八路軍と新四軍、抗日戦基地…

アメリカの軍事使節団、延安へ 『偉大なる道』第11巻③ー2

5月の末に黄河をわたって、共産地区に入った。彼らは、3、4人のはにかみがちな若い八路軍兵士に会い、王震将軍の司令部に案内された。彼は南泥湾地区を国民党と日本軍の攻撃からまもるため、3年前に前線からここに移された旅団の指揮官であった。 この外国人…

アメリカの軍事使節団、解放区へ派遣 『偉大なる道』第11巻③ー1

日本の半官半民の通信社『同盟通信』は 1944年2月14日づけで、中国の情勢を次のように要約して、新しい年の展望をしめした。 「現在中国の復興と極東の防衛にとっての唯一の障害は、共匪がまだ完全に掃討されていないことである。これらの匪賊たちは青年を扇…

枢軸側に利用される「共産主義の脅威」 『偉大なる道』第11巻②ー4

1943年2月初旬のスターリングラード戦までは、国民党内の有力分子は、枢軸側の勝利を確信して、つまらん方の味方についたものだと考えていたようである。ところが、朱徳その他延安の指導者たちの講演の論文のどれ一つをとってみても、中国共産主義者は連合国…

蒋介石にきらわれ始めたスティルウェル将軍 『偉大なる道』第11巻②ー3

アメリカの最高軍事代表で蒋介石の参謀長だったJ・W・スティルウェル将軍は個人的な考えを日記につけていた。彼は重慶をあっさりと「肥えだめ」とよび、蒋介石を「貪欲で、偏屈で、恩知らずの、ちっぽけなガラガラ蛇」で、レンド・リース(1941年3月のアメ…

広東と河南の飢饉と戦争暴利に苦しむ農民 『偉大なる道』第11巻②ー2

朱将軍その他の指導者たちは、こうした事態の発展を、部隊や人民の教育に利用した。朱将軍は2月4日と5日に2つの論文を発表しているが、ひとつは中国を半植民地状態においた旧条約に関するもので、他のひとつは新条約を論じたものであった。 新条約は「重要な…

英米、日本の宣伝に対抗して不平等条約撤廃へ 『偉大なる道』第11巻②ー1

数世代にわたってアジアの民族を支配してきた西欧列強は、太平洋戦争の最初の2年間というもの、西欧帝国主義排除という日本の強力な宣伝を信じた南太平洋の諸民族が、日本軍を解放者として歓迎していたときは、にが虫をかみつぶした思いであった。イギリスが…

従軍中に亡くなった外国の友を追悼 『偉大なる道』第11巻①ー12

1942年が暮れるころ、朱将軍や同志たちは、あらゆる機会をとらえて、全世界の人々が彼らの味方であることを説き、人々をはげまし力づけた。11月13日は八路軍従軍中に殉職したカナダ人の医師ノーマン・ビーツン博士の3周年記念日だったが、この日朱将軍は、カ…

満州人民へ団結をよびかけた宣言 『偉大なる道』第11巻①ー11

日本が南太平洋でつぎつぎに戦果をあげていたころの朱徳将軍の演説や論文は、指揮下の部隊やパルチザンに対する激励の言葉にみちていて、「中国の敵軍を攻撃し封じこめることによって、連合国との結びつきを強め」華北、華東のあらゆる敵の拠点を破壊せよ、…

延安にむかえた連合国避難者たち 『偉大なる道』第11巻①ー10

すでに何人かの連合国避難者が、北京から西部の丘陵地帯の西山に逃げてきていた。八路軍は彼らを迎えて、何週間もかかって華北を横断し、河北山岳基地や延安まで護送した。フランス人2人、ナショナル・シティ・バンクの北京副支配人のアメリカ人1人、オラン…

太平洋戦争開始後ただちに日本への反撃開始 『偉大なる道』第11巻①ー9

日本の戦略には、現地住民の反逆者、スパイ、仏教徒などの利用もふくまれている、と彼はつづける。さらに放送局、映画、新聞雑誌などの買取りと利用、それぞれの国の編集者、放送関係者、著述家や講演者などの買収もあった。日本の主なそして一番効果的な宣…

東方民族会議での演説で朱徳が分析した国際情勢 『偉大なる道』第11巻①ー8

国際問題にたいする朱将軍の態度は、真珠湾攻撃の2週間前に延安でおこなわれた東方民族会議の席上で、彼が読んだ長文の演説原稿に、はっきりといいあらわされている。この会議は中国、日本、朝鮮、インド、および蒙古の数百人の代表が出席した、小さくて目…

予期されていた太平洋戦争、予想されていた日本側の初期の勝利 『偉大なる道』第11巻①ー7

そうした事情や過去の歴史的理由からみて、朱将軍もほかの共産主義者たちも、この大戦は民主主義のための戦いであるという西欧列強の宣伝を、そのままのみこみはしなかった。ともかく、彼らは1940年まで日本に戦略資材を売っていたではないか。しかし最後に…

日本の軍隊内部の変化 『偉大なる道』第11巻①ー6

この朱将軍の1943年の年次報告のうち、とくに目立つのは、過去5年におこった日本軍隊内部の変化についてのべている部分である。1942年半ばごろには、日本兵の降伏や脱走がきわめて多くなっていた。 捕虜になった彼らは鎖でつながれることはなかったし、拘置…

太平洋戦争前夜、人民軍の反撃開始 『偉大なる道』第11巻①ー5

1941年7月1日の年次報告で、朱将軍がいうには、八路軍と新四軍はひとり5発か10発の銃弾しかない状態で戦闘をはじめたことがたびたびあり、華北の民衆や部隊が大きな損害をこうむったのは、国民党のきびしい封鎖の力によるものであった。 1941年12月の第1週、…

華北日本軍の総司令官岡村寧次の「三光」戦略 『偉大なる道』第11巻①ー4

自給生産運動に着手した1941年7月はじめ、華北日本軍の総司令官岡村寧次は、30万の日本軍を解放区に入れ、彼のいわゆる「三光」戦略――殺しつくし、焼きつくし、掠奪しつくす――を開始した。 1941年の岡村の「三光」攻勢は、はっきりした目的があり、それは「…

工業合作社 『偉大なる道』第11巻①ー3

育児の話から、工業合作社の話にうつる。「農業と工業の間をつなぐ橋渡しになり、また商業を活気づけるには」工業合作社を大規模に発展させるべきだ、と彼はいう。合作社は、金儲けの機関になってはいけないし、製品を買い占めして値段をつり上げたり、「モ…

軍事だけでなく生活の各方面で指導する朱徳 『偉大なる道』第11巻①ー2

1941年7月に日本の攻勢が始まった。それから1942年末までの1年半の戦闘で、八路軍と新四軍は82,456人の損傷をこうむり、そのうち30.789人が戦死であった。一般人や地方パルチザンの死傷は計算できないが、はるかに大きかったことはたしかである。 この当時の…

1941年、毛沢東によって自給生産運動開始 『偉大なる道』第11巻①ー1

雲霞のごとき将兵 大風のごとく歌いひびかせる。 砲閃、日帝をしりぞかしむ。 血はわが山河をぬらす。 朱徳 1941年と42年は、解放区の人民と部隊が、血と困苦によって鍛えられた年であった。 事態はどんな鈍感な人にもわかるほど明白だった。国民党が外界か…