Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

『偉大なる道』第十巻(改編)

抗日戦をつづけるための自給・自立 『偉大なる道』第10巻③ー13

両共産軍と華北華中の人民は、彼らの胃袋を自分たちで満たさなければならないという境遇におちいりながらも、いわゆる「大業」に着手したのだが、それは数年後にその結果を見たものは驚異の目をみはらせるに十分であった。何ヵ月かの惨憺たる苦闘ののち、新…

揚子江虐殺に対する毛沢東と朱徳の抗議 『偉大なる道』第10巻③ー12

毛沢東と朱徳が、ふたたび乗りだした。彼らはすぐさま内戦に突入するのを防ぐため、きわめて慎重ではあったが、事実は詳細に暴露して、そして、重慶は葉挺将軍その他新四軍の将兵を釈放し復職させ、事態の収拾をはかること、この悲劇の責任者を処罰すること…

蒋介石による揚子江虐殺事件の真相 『偉大なる道』第10巻③ー11

1千人だけが血路をひらいて揚子江をわたり本隊と合流した。約4千人の負傷兵は、捕虜にされ、拘置所につながれた。その大部分は病気と虐待のために、そこで死んだ。婦人の捕虜は国民党将校のあいだで分配され、獣のように扱われた。米国が参戦した後、戦時情…

新四軍への撤退命令の真意 『偉大なる道』第10巻③ー10

重慶が日本の演出によってそうしたのか、たまたま日本と同じ結論に達したのかわからないが、とにかく重慶最高司令部は、1940年12月、新四軍に向かって、2年近く作戦した戦闘地区から撤退するように命じた。そして、特定の地点で揚子江をわたり、指定された道…

日本軍に対する百団出撃の戦果 『偉大なる道』第10巻③ー9

朱将軍が私(スメドレー)にくれた手紙によると、この驚異的な攻勢に参加した八路軍の百団(百個連隊)はすべて志願によって編成されたもので、日本軍の「封鎖せん滅」作戦を打破し、打ち負かそうという強烈な熱意をもつものから選ばれた。八路軍は全部隊か…

国民党軍、八路軍と新四軍を非難 『偉大なる道』第10巻③ー8

大胆な民主主義的改革を導入すれば、華北の経験がしめすとおり、人民のもつあらゆる潜在的な力や熱情が、よびさまされるはずであるが、重慶はそれをやらないで、反動と腐敗の底にますます深く沈んでいった。その上国民党の将軍たちは、しばしば重慶最高司令…

八路軍に対する蒋介石の軍事攻撃 『偉大なる道』第10巻③ー7

1939年12月ごろには、内戦の危機がますます高まってきたので、朱徳将軍は前線をはなれて延安にかえり、毛沢東や中央委員会と常に接触を保つことが必要になった。3年後に私にくれた手紙の中で、「八路軍に対する蒋介石の公然たる軍事行動の最初のものは、1939…

内戦回避努力の最中におきた事件 『偉大なる道』第10巻③ー6

1939年3月まで、共産主義者は内戦再開のきっかけになりそうなあらゆる事件を、おだやかにおさめるのに懸命の努力をはらっていた。ところが3月末のある深夜、国民党部隊が新四軍の湖南省の輸送連絡所を襲って、全員を生き埋めにして殺した。 毛沢東と朱徳は、…

内戦と対日降伏の危機の時期 『偉大なる道』第10巻③ー5

朱将軍は、1939年7月18日延安の新聞で発表した論文の中で、国民党反動勢力の増大と、二重の危険――内戦と対日降伏についてのべている。 「1938年秋、漢口が日本軍の手に落ちて以後、われわれは国民党内の有力な一派が、民族統一戦線をやぶり内戦を再開するこ…

蒋介石と汪精衛の共通認識と立場の違い 『偉大なる道』第10巻③ー4

戦争の1年間に、政府は、政治犯を釈放し、その管下の人民にある程度の政治的自由をゆるしたが、ふたたび反動が勢力をもり返す不吉なきざしがあらわれた。汪精衞行政院長は、多くの追随者に支持されて「共産主義の匪賊行為」に対する警鐘をうちならし、日本の…

八路軍を恐れる日本軍と国民党反動たち 『偉大なる道』第10巻③ー3

八路軍も大きな損傷をこうむったが、敵の損害は3万4千であった。敵の捕虜――その大部分は傀儡中国人だった――は2094人で、その他に徴兵されていた満州兵1366人が、日本の兵器をもったまま八路軍に入ってきた。 八路軍が開戦当時もっていた貧弱な装備を考えると…

八路軍の抗日戦争一年目の報告 『偉大なる道』第10巻③ー2

1938年夏の半ばころ、朱将軍は、日本軍の警戒線を西に横切って、両岸の断崖が雲に包まれている、渦巻く黄河をわたって、延安におもむいて、八路軍の抗日戦争1年目の報告をおこなった。この報告書は、その年の秋の共産党中央委員会第六回総会に提出された。 …

抗日戦(1938年)のおそろしい時期 『偉大なる道』第10巻③ー1

日本軍は、1938年はじめの野蛮な攻勢作戦によって山西省の主な都会を占領し、国民党軍を、黄河の向こうや省境のポケット地域に追った。五台山の八路軍基地には、6つの別々の道から敵の6つの縦隊が押し寄せた。彼らはそこで停滞したが、それから、徐々に山西…

実践的クリスチャンのような生き様の朱徳 『偉大なる道』第10巻②ー12

「閻錫山が、八路軍を山西省によび入れたのは、そうすることで日本軍の進入をずっと抑えていけると思っていたからであり、また八路軍も彼と同様かそれ以上に、南京に対してあいまいな立場を続けるだろうし、日本が潰滅した後の善後策としては、閻が分けてや…

キリスト教の普及活動VS紅軍 『偉大なる道』第10巻②ー11

「ところであなたは洪洞の外国人宣教師から贈られた新約聖書を読むおつもりですか」と私はぶしつけにたずねてみた。実際、ある年配の外国人宣教師が彼に中国語訳の新約聖書をおくり、朱将軍はお返しに『ファシズムとは何か』を一部贈呈していた。 「私は何で…

日本軍の敵は国民党軍ではなくて紅軍 『偉大なる道』第10巻②ー10

どろどろの雪どけの中を行軍し、民衆大会や共産党分会などで演説したりしながら、朱将軍はついに部隊を山西省南部の洪洞地方に誘導し、ここで一部は休息と学習につとめ、一部は日本が占拠した太原府の西方地区に進出した。まもなく朱将軍の司令部のまわりの…

日本人捕虜の扱いに対する命令書発令 『偉大なる道』第10巻②ー9

朱将軍は、彭徳懐との連名で発令したばかりの、八路軍全軍に対する命令書の写しもくれた。それは次のとおりだった。 「日本兵士は日本の勤労大衆の子弟である。彼らは日本の軍閥と財閥の欺瞞と強制のもとに、われわれと戦うことを強いられている。したがって…

日本人捕虜の話し 『偉大なる道』第10巻②ー8

ある町での出来事であるが、民衆大会でふたりの日本人捕虜に話をさせようとしたら、ものすごい騒動になって、「鬼を殺せ!」という殺気立った叫びがあがった。八路軍の代表者たちは群衆をしずめようと必死になっていた。そこへ「朱徳だ、朱徳だ」という声が…

日本軍、太原府に進撃 『偉大なる道』第10巻②ー7

もっとも、日本兵の死体のポケットからこんなビラが発見される以前から、八路軍政治部は敵に対する宣伝工作をやっていた。しかし「対敵工作部」はここにいたって一段と工作を進め、部隊に日本語を教えるように命令された――この活動は最後には、八路軍と新四…

降伏しない日本兵 『偉大なる道』第10巻②ー6

朱と彭は、林彪の師団が平荊関で日本の一個旅団を全滅させた話をしてくれた。そしてその他の戦闘でも、日本人は負傷した場合でなければ、ぜったい降伏しないという話もした。負傷者さえ、死んだふりをしているということだった。八路軍の担架兵が、彼らの上…

必要なのは大衆動員と大衆訓練と国民党軍の改革 『偉大なる道』第10巻②ー5

話の途中に彭徳懐が入ってきた。普段は厳格でしぶい人だが、敵の背後の広大な地域でおこった数々の小さな勝利を報告する彼は、実に楽しそうであった。朱将軍は、色あせた赤い星のついたみすぼらしい軍帽を、刈りたての頭の後の方へずらしたまま、目を細めて…

八路軍の戦略、持久戦から敵の戦闘力と補給の消耗 『偉大なる道』第10巻②ー4

五台山の朱将軍の司令部は、以前は地主の邸宅だった大きな白い建物だった。私(スメドレー)が二人の中国人新聞記者といっしょにそこを訪ねると、彼は腰掛けにすわって散髪してもらっているところであった。手を振って大きな声で「ようこられた」といった。散…

日本軍に対する八路軍の戦略と戦術 『偉大なる道』第10巻②ー3

私(スメドレー)が1937年10月末に五台山の朱徳将軍の司令部に着いた当時、日本軍は二方面から――山岳地帯を越えて北方と、石家荘から深い渓谷をぬって太原府に通ずる鉄道支線に沿う東方から、省都太原府にせまっていた。国民党と省の軍隊は、北の戦線で日本…

南京事件と国民党の思惑 『偉大なる道』第10巻②ー2

私(スメドレー)は、八路軍が前線に出発してから1ヵ月後に、五台山で、朱徳将軍の司令部に加わった。山西省の東北部にある五台山は、当時日本軍の後方になっていた。9月25日と26日の両日、林彪の指揮する第115師団は長城の平荊関で日本軍と戦って、中国最初…

盧溝橋事件から日本軍の上海、南京占領 『偉大なる道』第10巻②ー1

日本帝国主義は1937年7月7日、北京付近で二十九路軍を攻撃し、前から計画していた中国征服を開始したが、統一戦線は、このときまだかたまっていなかったし、蒋介石も戦う決心をしていなかった。しかし、特別行政辺区、または延安辺区は、ただちに戦争体制に…

人びとの協力で小都市に発展した延安 『偉大なる道』第10巻①ー8

延安は、もともと小さな町で、これほど大勢の人間は収容しきれなかった。住居の不足を解決するため、谷に沿った黄土の崖に洞窟を掘りはじめた。これまで肉体労働をやったことのない学生たちが、つるはしやシャベルを取り、兵隊と協力して、この地域全体を洞…

抗日民族統一戦線のための紅軍兵士の再訓練 『偉大なる道』第10巻①ー7

私は、その後朱将軍に、紅軍の兵隊は統一戦線をどう思っているでしょうかとたずねたことがあるが、彼はとても率直に答えてくれた。 「わが軍の兵隊は、労働者と農民だ。彼らは知識人や文化人ではない。そのイデオロギーは、紅軍イデオロギーだ。農民や労働者…

国民党軍事使節団、紅軍を観察するため延安到着 『偉大なる道』第10巻①ー6

こうした国民党の策動について私と話をしていたとき、朱将軍ははっきりいった。 「もし国民党の提案を承認したなら、わが軍はつぶされただろうし、日本に対する抵抗は問題にならなかっただろう。蒋と彼の一派は、日本と戦うことなど本気で望んでいない。だが…

統一戦線にむけて共産党と国民党との間の駆け引き 『偉大なる道』第10巻①ー5

朱将軍、毛沢東と彼らの幕僚たちは、延安でほとんど絶え間なしに会議をひらいた。1937年2月、周恩来を長とする共産党代表団が南京に出むいていたときだが、朱と毛は、それぞれ共産党と紅軍を代表して、南京で開会中の国民党の国民党中央委員会に長文の電報を…

蒋介石釈放と民族統一戦線結成の闘争開始 『偉大なる道』第10巻①ー4

蒋が釈放されたのは、日本帝国主義にたいして中国の救国に努力することを誓ったからであった。 12月25日、青年元帥は自分の「誠実」を証明するため、蒋を釈放し、同じ飛行機で南京に飛んだ。青年元帥は、そこで裁判にかけられ、禁錮の判決を下されたが、すぐ…