Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

『偉大なる道』第四巻(改編)

革命生活のために帰国 『偉大なる道』第4巻②ー19

船がバルト海の波をわけてすすむとき、朱将軍は甲板をあるきながら、この4年間の経験にしめくくりをつけようとした。彼は、1922年に中国を去ったときとは、かなり変化した人間になっていた。中国における反革命運動の爆発をうれえてはいたが、今では、かつて…

騒擾罪でドイツから退去命令 『偉大なる道』第4巻②ー18

6月中旬のある夜、朱将軍は書物や文献と別れをつげ、9人の中国人と一団となって、ベルリンスポーツパレスでの中国問題に関する大集会にはせ参じた。ドイツ政府の特別命令によって、中国人はこのような会合に加わることを禁じられていたが、聴衆としてそこに…

蒋介石、北伐軍の総司令官に 『偉大なる道』第4巻②ー17

国民党とのあいだの、だらだらとつづく交渉の結果、休戦状態がつくり上げられた。共産党指導者の一部は、民族統一戦線を維持することにあせり、もし蒋が孫逸仙の三民主義と三大政策を守るならば、自分たちは地位を捨てさっていいといった。蒋は、時をかせぐ…

蒋介石の軍事クーデター 『偉大なる道』第4巻②ー16

学習は、中国からの報道によってかき乱され、困難を感じさせられた。孫逸仙の遺骸に安らかに眠る時もあたえないほどのうちに、すぐに国民党内の反動派は徒党をむすんで、広東革命政権の基本理念だった三大政策をくつがえそうとした。孫博士の一人息子の孫科…

マルクス主義の学者のもとで研究 『偉大なる道』第4巻②ー15

ドイツでは、朱将軍と同志が、ドイツの労働者階級とつながりながら、2ヵ月の間に何回か大集会をひらいた。同じような示威はフランス、イギリス、オランダ、アメリカでもおこなわれた。イギリス政府は、フランス政府に、中国人指導者20名を追放させ、さらにド…

上海の大虐殺から対英不買運動へ 『偉大なる道』第4巻②ー14

「一切のイギリス製品を買わないという強力な運動が中国におこった。外国租界には戒厳令がしかれ、外国の陸戦隊が上海に上陸し、外国の実業家たちは武装して義勇隊をつくり、白系ロシア人もそれに加わった。アメリカ、イギリスをはじめとするヨーロッパの労…

ベルリンでの混乱する中国人集会 『偉大なる道』第4巻②ー13

朱将軍のこのような闘争の物語をきく私も、じつはそのころベルリンにいながら、彼の存在については知らなかったのだが、ふと、両派が激突するある中国人集会の光景を思いうかべた。それは、およそ500人ほどで、中国人のほか、ドイツ人やインド人もまじり、朱…

ベルリンで孫逸仙の追悼会 『偉大なる道』第4巻②ー12

やがて孫逸仙の、北京でのいたましい死が、1925年3月12日におとずれ、憂愁の気分が世界のいたるところにいる中国革命派の人びとをつつんだ。ベルリンでは、朱と彼の同志たちは、追悼会をひらき、中国語とドイツ語の特集パンフレットを出して、中国の解放にさ…

さまざまな妨害活動から考察 『偉大なる道』第4巻②ー11

「ドイツ帝国主義者たちは、ワイマール共和国に浸透してゆきながら、ふたたび、青島の海軍基地や中国内でのドイツ権益を獲得する日を夢みていた。彼らは警察内にも入りこんでいた。そして、ほかならないわれわれの同胞が、われわれと敵対するために、彼らを…

ベルリンでの活動と妨害 『偉大なる道』第4巻②ー10

さて、1924年のはじめにゲッティンゲン大学を去った朱徳が、ベルリンにもどり、ドイツ在住のすべての中国人を、広東の国民党政府下に組織しようとしていたころには、後に中国の大地と河川を流血で染めた凄惨な階級闘争は、まだ、時間の胎内にまどろんでいた…

孫逸仙、ソ連と同盟(1923年) 『偉大なる道』第4巻②ー9

いままでの37年の革命的健闘のあいだ、孫逸仙は、イギリス、フランス、アメリカの援助を期待し、もとめてきた。個人的に同情し援助したものはあった。しかし、これらの国の銀行家、政府、および中国国内外の外国語新聞は毒舌を浴びせかけ、「不平家」「夢想…

孫逸仙、黄埔軍官学校設立 『偉大なる道』第4巻②ー8

1924年のはじめに、彼はゲッティンゲンを去ってベルリンにもどり、広東の孫逸仙の提唱に基づく改組国民党の支部をつくることになった。すでに孫逸仙は、かつての華南の革命運動の根拠地を奪回して、国民党の第一回全国大会を召集していた。この党は、以前は…

ゲッティンゲン大学政治学科に入学 『偉大なる道』第4巻②ー7

「私が、ベルリンをもう十分知りつくしたので、他の都市や産業施設も見学しはじめたとき」と朱将軍はいった。「私は、日ごろの、資本主義は中国を救うことができるという信念を、うしないはじめた。もし、ドイツのように、熟練し、訓練を受けた、教育がある…

ベルリン軍事博物館で受けた衝撃 『偉大なる道』第4巻②ー6

こうして、毎日毎晩、勉強から立ちあがっては探検に出かけ、いつまでもいつまでも、歩きつづけた。ベルリン軍事博物館では、過去の戦争の武器や、ドイツ軍が捕獲した軍旗などを見た。その軍旗のむれの前で、一度、急激な衝撃をうけて立ちすくんだことがあっ…

ベルリンでの探検と読書の日々 『偉大なる道』第4巻②ー5

彼のやり方は、かつて中国古典を勉強するときにとった丹念で計画的なやり方と、おどろくほど似ていた。まずベルリンの地図を買って、記されている街路と施設の名前を中国語に訳した。道をたずねるにはドイツ語の力が足りなかったので、街路を歩いて行っては…

ヨーロッパの文明を探求『偉大なる道』第4巻②ー4

中国共産党のベルリンの仲間は、ほとんど休まず勉学に専念していた。党員たちは、正規の大学での学習のほかに、週に3回夜に討論会をひらいて、中国革命の諸問題をマルクス・レーニン主義に照らして研究し討議した。そうした会合では、朱徳は敬虔な教会員のよ…

ベルリンで周恩来と会見 『偉大なる道』第4巻②ー3

ふたりは、汽車の旅をして、1922年10月末にベルリンにつき、ただちに周恩来のところに向かった。この男は、自分たちを仲間として迎えてくれるだろうか、それとも、疑いの目で念入りに、軍閥としてのふたりの過去の経歴についてたずねるだろうか。朱は自分の…

フランスで中国共産党の支部結成 『偉大なる道』第4巻②ー2

朱徳の声は低く、はるかな想いをひびかせた。 「どこへ行っても、目に入るものは、苦しみの暗黒世界だった。中国は、地上のもっとも悲惨な国ではなく、多くの中のひとつだった。貧しく隷属化された人民の問題は、どこでも同じだった。また、フランスに上陸し…

航海途上で見た植民地の姿 『偉大なる道』第4巻②ー1

南アジアを経たマルセイユへの航海と、後のフランスとドイツでの旅行について語る朱将軍の談話には、観光客じみたところはまったくなかった。私と差し向かいにかけ、頭を垂れ、私たちのあいだにある小卓の端を両手でつかみながら、しばしば彼は、現在の環境…

共産党書記長陳独秀との会見 『偉大なる道』第4巻①ー8

つぎは、朱徳がかねて待望していた、共産党書記長陳独秀との会見があった。とうとう彼は、文化復興の主要な指導者で、高名な大学教授、輝かしい論客、編集者、そして共産党を組織した中心人物のひとりと会うことになった。陳は当時40歳ぐらいで、精力的で決…

胡漢民、汪精衛との会見 『偉大なる道』第4巻①ー7

孫逸仙とのこうした会談のあとで、3人は、国民党右派の指導者胡漢民を訪れたが、ほんの短時間いただけだった。朱将軍は、胡をきっぱりと片付けた。「反動そのものだった。香港の買弁階級の典型的な代表人物だった」 次に訪問したのは汪精衛だったが、彼は国…

上海で孫逸仙と会見 『偉大なる道』第4巻①ー6

上海にもどったふたりは、当時夫人とともにフランス租界に住んでいた孫逸仙博士の家で、ある午前をすごした。朱徳が雲南省から脱走したときの仲間のひとりの金漢鼎将軍もいっしょだった。 朱将軍は、深い感動とともに、この偉大な民族指導者との、最初にして…

絶望の街上海、南京、北京 『偉大なる道』第4巻①ー5

資本主義に奉仕する近代科学は、中国には何の利益ももたらさなかった、と彼は絶望的なひとりごとをいった。だが、遠い奥地で耳にした話では、南洋のイギリス領、オランダ領では、状況はかなりちがうということで、そこでの中国人移民は夢のような富をつかん…

上海の労働者の悲惨な姿 『偉大なる道』第4巻①ー4

外国人であれ中国人であれ、工場主や職場長たちは、手に鞭をもって工場内を歩きまわり、のろのろと働いているものや、機械相手の過労で居眠りしているものを見ると、容赦なくむちうった、という事実を朱将軍は強調した。1927年ごろまで、労働者が殺された、…

香港労働者の勝利の影響 『偉大なる道』第4巻①ー3

朱将軍が、中国全土を熱狂の火でつつんだ、中国人による外国の帝国主義に対する最初の勝利について語ったとき、声はふるえていた。広東の孫逸仙政府はストライキ基金として20万ドルを送り、多くの中国人の将軍たちも巨額の金を出し、全国の労働者もわずかば…

英領香港のストライキ(1922年) 『偉大なる道』第4巻①ー2

朱徳は病院に1週間入院して、退院すると、旧同盟会員で雲南から亡命してきていた友人のところにゆき、そこにさらに1週間いて、そのあいだに、夢みたいな話ばかりきかされていた、この上海市のあちこちを見物した。 入院中は、友人が本や新聞を持ってきたの…

上海で不眠症の治療 『偉大なる道』第4巻①ー1

朱将軍は、ヨーロッパに向けて出発する前にやろうと決めたことが3つあった。揚子江を上海へとくだっていくあいだに思いついたものだが、そういうふうに、彼は、生涯を通じて、あらかじめ十分に計画を練ってことをおこなうという習慣をもっていた。 1つ目は、…