いま大阪市東淀川区にあるアジア図書館の語学スクールではどこの国の言語の教室が人気があるのかしら。
韓国語かな?
多分中国語だろう。
私がスタッフをしていた時期で1992年あたりは、圧倒的にタイ語だった。
傍で見聞きしているかぎり、日本人にとって学習しやすい言語とは決して思えないのに、募集すると人は集まった。
いろいろな人が集まったけれど、会社勤め風の若い女性が多かったような気がする。
あと個性的な生き方をしていたそれほど若くはない男性が少しという感じだった。
若い女性が多いと教室が華やかになる。
タイ語はボールペンでためし書きをするときに描くらせん状の線のような独特の文字である。
半月が横になったような線図がところどころ載っかっていて、愛嬌がある文字だなと思っていた。
しかし、インドネシア語やベトナム語などの文字はアルファベットであることを考えると、文字習得だけでも時間がかかりそうだ。
その上日本語の場合は読点があり、欧米の言語などは単語と単語の間にブランクがあって自由に一息つけそうだが、タイ語は中国語のように一つの文に切れ目がない。
だから初心者には、早々に学習意欲がそがれないように、文字をいきなり教えることはなかった。
では、発音はやさしいかといえば、5種類の声調は決して日本人には学習しやすい言語ではない。
声調があって文字も見慣れないものなので、アジアの言語では日本人が学習するにはむずかしい言語のひとつだと思う。
にもかかわらず習いたいと思わせるものがタイ語にはあった。
一番の理由は、旅先でタイというお国柄に魅了され、次回行くときまでに少しぐらいのことばはしゃべれるようになりたいと思う人が当時は多かったからだ。
中国や韓国のように意味のない偏見を持つという歴史的な経験がないうえ、「いまだ解決していない問題」と表現されるような政治問題もないので、魅了された後「疲れる」とか「裏切られた」という負の感情を持ちにくいことが幸いしていたと思っていた。
講師になってくれたタイの留学生は、ほとんど国費の留学生だった。
顔立ちだけを見たら、中国の人とほとんど変わらない。
実際「中国系」であることを語る人もいたが、それでもタイ人としてのアイデンティティをもっていて、他の東南アジア在住の中国系と称する人たちとは違っているように感じた。
タイの歴史は中国系との接触なしには語れないが、接触の際生じる葛藤があまりなかったのではないだろうか。
見識不足でこれ以上は語れないが、そんな気がする。
日本に留学するチャンスを得ることができるということは、本国である一定の階層出身者であることを表している。
夏休みを利用して講師の留学生の家におじゃました生徒さんの一人から「ものすごく大きかった」という率直な感想を聞いたことがある。
当時のクラスはアジアの貧富の差を学ぶ機会も提供していた。