1990年はじめ頃のアジア図書館の語学スクールでは、中国語についてはレベルごとのクラス数が一番多かった。
蔵書の語学書の中で中国語のテキストが一番多かったこととも相関していた。
常連さんや中級クラス以上で学べる人も多かったし、生徒の年齢層にもはばがあった。
もともと全体的に女性の生徒が多いアジア語学スクールだったが、中国語クラスは男性も多く、男女比は極端にならずバランスがとれていたような記憶がある。
この中国語の上級クラスの常連だった男性を思い出す。
私が辞めてからもアジア図書館の運営のボランティアとしてよき働きもしておられた。
その上韓国語にも学習範囲を広げて、かなりできるようになっていたと伝えきいた。
ところが2011年の東北の大震災のあとすぐに病をえて亡くなられたことを会報で知った。
決して若いとはいえない歳だったが、まだまだ語学を活かして東アジアを見つめた働きを期待されていた人だった。
アジア図書館を辞めて長かった私ですら訃報を知ったときはショックだったので、中にいる人たちの喪失感は相当大きいだろうと察した。
最後に見たのは、テーブルをはさんで若い留学生の日本語の学習を手伝っていた姿だった。
中国語の話しに戻すと、あくまでも私の印象だが、タイ語やインドネシア語の生徒さんたちと比べて平均年齢が少し上がっていたと思う。
そのせいか教室は大人の雰囲気があった。
天井まで届く本棚の背を合わせただけの壁でコーナーを仕切っていたので、となりの「タイ語のクラス」から若い笑い声が聞こえてきたりすると、違いをいっそう感じたりもした。
講師で記憶に残る一人は私費留学生で、難関大学院に合格できるほどの優秀な男性だった。
今はどうされているのかしら。
中国に戻っているのかな。
アジア図書館は中国の有名な新聞も定期的に購読してファイルしていたので、授業が始まる前に熱心に読んでいた姿が思い浮かぶ。
ある日、彼から講師料を少し上げてもらえないかという相談を受けた。
確かに安い講師料だと思っていたので、深く同情はしたが、例外を作るわけにはいかなかった。
現在も世間の相場よりもかなり安い講師料しか出せていないと思う。
営利で運営していないので、金銭面は仕方がなく、申し訳ないがもし不満があるならばよそでやってくださいとなると思う。
生活はしっかり政府から保証されていた国費留学生と生活すべてを自分でまかなわなければならない私費留学生の余裕の差は歴然としていた。
学校教育を受けた中国人はバイリンガルであることもここで知った。
中国人は自分の出身地域によって家庭で使われることばが違うからだ。
この事実を知っている日本人はどのくらいいるかな。
この事実を認識するだけで、中国の国土の広大さを知る。
日本でバイリンガルといえば、高いハードルがあるように感じるが、実はアジア各国ではさまざまな政治的歴史的地理的要因が絡んでめずらしいことではない。 日本で外国語教育の場で「中国語」というのは「普通話」(ふつうわ、中国語ではプートンホア)と呼ばれるもので、中華人民共和国が新しい創建した国の共通語として作った言語である。
「普通」は中国語で「普(あまね)くゆき渡る」を意味するそうだ。
つまり学校で習う言語ということだ。
実際モンゴル系と朝鮮系の中国人留学生がいたが、どちらも母語とは別に「中国語」を話すことができた。
中国人だから、当たり前かも知れないが、受け留める私は少し衝撃を受けた。
私はこういう人にはよく「ものを考えるときは、何語で?」と訊くのだが、相手はちょっと考えて一応答えてくれるがはっきりしなくて、あらためて問われて困っているという感じだった。
頭の中で考えているときには言語は関係ないのかな。
台湾でも「中国語」を「国語」と呼び、学校で習う。
ちなみに世界で一番多く話されていることばとのこと。
うなづける。
出身によって家庭で話される漢民族のことばは、北京語、広東語、福建語、上海語、客家語、台湾語などまだまだあると思う。
漢字の羅列は同じで読み方が違うのだろう、つまり言語の数が漢字の読みの数と等しいか、日本の方言ぐらいの違いと思いきや、まったく違う言語になるらしい。
福建語を知らない中国人は福建語でおしゃべりしている人たちの会話はまったくわからない。
知人の女性は台湾ご出身で、家庭では台湾語で中国語は学校で学習したが、2つの言語を場によって自由に使い分けていたという。
別の台湾出身留学生は家庭では客家語を使い中国語を学校で学習し、日本留学のために日本語もマスターしていた。
その女性の夫の母親は台湾語しか話せない人で、戦前日本の領土になっていたことから日本語を話せたらしい。
だから二人は日本語で意思疎通をはかっていたと笑いながら語っていた。
このあたり日本に住むものの発想を超えていると思った。