Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

アジア図書館の本 ー韓国人女性の回想記『半分のふるさと』ー

著者イ・サンクム(李相琴)さんは1930年に広島で生まれ、15歳で祖国に帰国し、その後梨花女子大学で教鞭をとっておられた女性。
副題が「私が日本にいたときのこと」となっているように、宗主国日本で異民族出身日本人としてすごした多感な十代の少女の回想記である。

この女性が日本を旅するドキュメンタリーもテレビで以前観たことがある。

現在どうしておられるのかな。

もし彼女の家族が帰国を決断しなければ、在日二世として韓国人の彼女とは少し違った生き方、思考様式を持った存在になっていただろうと思う。

この本は現在の韓国人の視点で率直に書かれているところがとても興味深い。
さらに、「記憶違い」もあるかも知れないが、知識人なので冷静に客観的に綴られていると考えると信頼できる。

 

しかし、出版された当時は、児童書ということでなかなか手に取って読む気が起こらなかった。

勤めていたアジア図書館でも韓国・北朝鮮コーナーの文学の棚に収まっていた。

こういう本はメディアも取り上げてくれやすかったこともあり、よく見かけた記憶がある。

なお、公共図書館では児童書コーナーに並ぶ本ではあるが、アジア図書館では一般向けと児童向けを分けないのでいっしょに並ぶ。

こういう本が児童書コーナーに並べるのはもったいないと思ったりするが、現在はパソコンなどにキーワードを入れて自宅や図書館で検索できる時代なので、さほど問題はないのだろう。


読んだきっかけは彼女が大分県終戦を迎えていることを知ったことだった。

私の父方も大分県終戦を迎えて、彼女の一家と同じように普通に暮らせた生活基盤を整理して帰国の道を選んだからだった。
この本は、アジア図書館を辞めてから父方の歴史を調べるための資料として手に入れた。

終戦の年から翌年にかけて、博多港で他の家族と帰国船を待つシーンのくだりは在日の聞き取りからは抜けている。

彼女より1歳若くて同じように帰国した叔父から、やはり博多港の倉庫のようなところでおにぎりを食べながら、帰国船を待ったと聞いていたので、ぴったり合う。
ちなみに著者とこの叔父の成長期における文化・言語環境はほぼ一緒と理解している。

帰国を拒んだことも同じだった。

この叔父はもう亡くなっているが、かつて知的世界へ誘ってくれた日本語への憧憬はずっと秘めて持っていたと思う。
日本語の文章を読みたがっていたこと、日本語を話したがっていたことは感じられた。

尚、彼女の一家が戦中も広島にいたならば、原爆の被災から免れなかったと思うが、その辺のことはまったく触れていない。
 
私は総督府の植民地政策の一つであった「創氏改名」を調べるために名前を特に注意しながら読んだことがある。
戦後の在日が「通称」を使用する遠因が、宗主国日本で暮らし始めたときにすでに始まっていたことを再認識する機会を得た。

日本で生きるときに、名前をどうしてすごしたかがところどころで率直に書いていてとても参考になる。

原因は二者択一で考えるものではない。

彼女一家は帰国後「帰還同胞」と呼ばれて身のおきどころがないような立場になったようだ。

 

「当時、アメリカ帰りや中国・満州帰りの人たちは、その地で日本帝国主義に対抗した独立闘士や愛国の志士の血族ででもあるように、いばっていた。そのかげで、日本帰りの私たちは、長いあいだ、肩身のせまい思いをしたものだ。アメリカ帰りの人が英語をしゃべるのは、羨望の目で見られ、日本帰りは、子どもですら日本語をしゃべると叱られた。そして、朝鮮語を教えなかった親も非難された。」

 

学校に在籍していた叔父や叔母が直面したことばの問題、ことばができない子どもを連れて帰国した祖父母の苦悩を考えさせてもくれる本だった。