Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

アジア図書館の本 ーインパール作戦ー

ビルマインパール作戦とは第二次世界大戦中の1944年3月から7月にかけて日本軍が実施したインド侵攻作戦だった。

 

インパールというのはインドとビルマ(現在のミャンマー)の国境に近いインドの都市で、そこにあるイギリスとインドの軍隊の大きな基地を攻撃するのが目的だった。

3000m級のアラカン山系が横たわっていて、少数民族しか住んでいないような不毛の土地だったらしい。

そこを疲れきった将兵が物資やトラックを運びならが越えようというのだから、正気とは思えない作戦だった。

その結果として、物資の補給など圧倒的に不利な戦いとなり、全体的には10万人以上の犠牲者を出しているらしい。

インドとビルマの国境あたりの山道は日本軍兵士の死体が野ざらしになり、「白骨街道」と呼ばれるようになったという。

学校教育の歴史授業ではまったく扱わないし、よほど個人的な関心を持つ機会を得た人を除いてほとんどみな知らないと思う。

イギリスの若者の方がひょっとしたら、学校教育の場で学習して知っているかも知れない。

1950年に製作された映画『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声』」に描かれた「インパール作戦」が実相に近いものであるとどこかで読んだ。

私も高校までの歴史授業の中で教わった記憶がないが、この映画を観たことがあるので、多少イメージはできるようになった。

 

アジア図書館にはこの「ビルマ戦線」「インパール作戦」を知るための資料が少なくとも公立図書館よりもそろっている。

特集記事になっている雑誌もあった。

当時、こんなにそろっている図書館がほかにあるかなと思っていた。

 

戦記とか軍隊用語に慣れていない私が少しずつ興味を持って読み始めたのがこの作戦だったので、とくに思い出深い。

 

この地域は熱帯雨林独特の雨季があって、雨の記載に特徴があった。

まるでホースの先端から出てくるような太くて強い雨粒が降ってきたとか、バケツの水を上からバシャンとかけられるような降り方だったとか、日本では経験しないような雨だったらしい。

だから将兵はぬかるんだ道を行軍し、泥だらけになる。

 

とくに参考になった資料は次の3冊。

 

『責任なき戦場ビルマインパール(ドキュメント太平洋戦争) NHK取材班

この本はテレビで放映されたものを書籍にしたものだが、テレビのドキュメンタリーの構成がよくて、当時何回も観るほど気にいっていた。

初心者はこの本から読み始めたらいいと思う。

残念ながら、このドキュメンタリー製作の責任者の方はもう亡くなっておられる。

 

インパール』  高木俊朗

この方はその他インパール作戦関連の本をたくさん書いて残した。

 

『兵は死ね ―狂気のビルマ前線―』 大江一郎

著者は劇団の脚本関係の仕事をしていたが徴集されて中国戦線からビルマ戦線に参加した。

よく帰ってこれたなと思うぐらいのすさまじい経験をしていて、撤退したあとの高級将校たちの宿舎にやっとたどり着いたら、箱の中から芸者の華やかな色の腰紐がたくさん出てきたという意外な内容を読んだ記憶がある。

 

因みにインパール作戦の部隊を指揮した有名な牟田口廉也中将はお気に入りの芸者をビルマまで連れていっている話はどこかで読んだ。

 

従軍慰安婦について書かれた本を1冊も読んでなくて、断片的な知識でしかないけれど、朝鮮半島出身の従軍慰安婦は主にこのビルマ戦線に連れていかれたように思っている。

ほとんど生きて帰れていないんじゃないかな。

 

この著者は徴集前まで劇団女優と同棲していて、やっと戻ってきたら、彼女は生活のために米兵相手に仕事をしていて堕胎もするという悲惨な状況にあった。

著者のルサンチマンが滲み出ているような感じがしてこの本は好きだった。

 

あと、1943年(昭和18年)4月、教養社から発行された『ビルマ戦記』や同じ年7月に大日本雄弁会講談社から発行された『大東亜戦争陸軍報道班員手記ビルマ建設戦』などの変色した戦中の本も目に付いた。

こういう本は貴重なので、館外への貸出は禁じているはず。
 
1953年(昭和28年)7月、富士書苑から発行された『秘録大東亜戦史ビルマ篇』がおもしろかった。

朝日新聞、読売新聞、時事通信社共同通信社の記者が実際従軍しての現地報告集になっている。

インパールの悲劇」と題して共同通信社の記者の文章を少しだけ紹介する。

「袋の中の鼠と思いきや、敵陣には煌々と丸い灯がともる。無謀な進撃にわが補給は絶え、アラカン山中滅びに行く兵士たち、それは枯れゆく根無草の運命に似ていた……」

こういう本がさりげなく並んでいるところがアジア図書館らしいと思っていた。