Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

アジア図書館の本 ーベトナム戦争ー

現在のベトナムは手頃な値段で観光旅行がしやすくなってきて、日本にとって遠い国ではない。

かつてはトナム戦争の関係でよくきいたダナンという町やホーチミンハノイも若者の観光の人気スポットになっていることを知ったとき、時代は変化していくとしみじみ思った。

 

さらに衣服を中心に「made in Vietnam」という表示がついた製品もよく目に付く時代になり、最近では日本での技術研修生の扱いについて社会問題になったりするほど経済的な繋がりも増えてきた。

ベトナム戦争の暗い記憶やイメージなんてはるか昔のものになった。

 

アジア図書館にいたころは、ベトナムは日本や韓国と同じように歴史的に中国の影響を受けてきた漢字文化圏の国であり、その後フランスの植民地でもあったことから、いい意味でも悪い意味でも西洋文化を許容し影響も受けてきた珍しいアジアの国ととらえていた。

 

そしてこの地で今から考えれば、ばかばかしく思えるのだが、この狭く細長い国で自由主義共産主義イデオロギーの違いから、アメリカなどの大国による想像を絶する悲惨な戦争が繰り広げられた国でもあった。

 

そのベトナム戦争も1973年に終結とあるから、今のベトナムの若者にとっても遠い大人たちの記憶でしかないかも知れない。

もう半世紀前になる。

 

朝鮮戦争もそうだが、ベトナム戦争なんて写真集を見ていたら腹立たしくなってくる。

以前のエントリー「アジア図書館の本 ―ベトナムー」で書いた1966年当時社会党の国会議員であった楢崎弥之助氏が発行した写真集『ベトナム』の中から、発行への思いを抜粋してみた。

 

「……「焼きつくし、殺しつくし、破壊しつくす」これがベトナム戦争である。そしてナパーム弾、毒ガス、殺人爆弾シュラプネル、無差別爆弾、虐殺、これはアメリカ帝国主義侵略の実体である。これら侵略の殺人道具は一部日本で作られている。沖縄は侵略のための最大の基地になっている。
 私たちは、ベトナム戦争がどのようなものであるかを日本国民に正しく伝える義務があり、私たちはいま何をなすべきかを訴える責任がある。ベトナム人民との戦闘的友情を果す責務の一つとしてここに写真集『ベトナム』を日本国民の前におくる。……」 

この本はベトナム関連の書籍収集家から個人的にこの図書館に寄贈された本の1冊だった。古本屋を巡り歩いていたときに、店頭に無造作に積まれていた写真集であったと回想されていた。

1973年(昭和48年)1月発行の雑誌「週刊サンケイ緊急増刊」の特集「全記録ベトナム戦争30年」も蔵書として2冊ある。

このようにアジア図書館では雑誌は特集記事に焦点をあてて登録して配架するので、ベトナムコーナーになっていた。

この2冊は書架で肩を並べているが、別ルートから来たものだ。

登録番号がかなり離れていた。

いまこの雑誌は日本にどれだけ残っているだろうか? 

全体的にはかなり変色していて、裏表紙も少し破れていた。

長い年月を経た雑誌特有のパサパサとした紙質に変化していた。

しかし当時ベトナム戦争がどのように報道されていたか知る貴重な資料だった。
 
1986年(昭和61年)発行写真雑誌『PHOTO JAPON』5月号の特集は「41人のベトナム戦争」だ。

この雑誌も特集記事から判断してベトナムコーナーに納まっていた。

戦争に巻き込まれ、肉体的犠牲を強いられた子どもの写真が多かった。

両足がない子、全身包帯だらけの子ども、物乞いする両うでのない子、墓場で泣き伏す女・子ども、ナパーム弾で顔じゅうの皮膚がむけ、かさぶたのように覆っている写真が続く。

一度見たら、まぶたに焼き付いてしまう。一枚の写真から受けるメッセージは言葉以上。

現在の中東アジアで爆撃などで犠牲になった子どもたちの報道写真とよく似ていた。


沢田教一、一之瀬泰三、石川文洋氏など日本人カメラマンの活躍が思い出される。

ベトナム戦争の生々しさを命がけでレンズを通して世界に報道しようとしてきた息遣いが伝わってきた。
 

沢田教一は1936年生れでピューリッツアー賞をもらった写真とともによく覚えている。34歳ぐらいでクメール・ルージュが支配するカンボジアで亡くなった。

 

一ノ瀬泰三は1947年生れで、やはりクメール・ルージュが支配するカンボジアで26歳という若さで消息を断ち、その後処刑されたことがわかった?

『地雷を踏んだらサヨナラ』という写真集を読んで泣いたという青年がいたが、ベトナムの話になると意気投合したものだった。

今一ノ瀬泰三が生きていたらなあと思う。

惜しい人材だ。

 

最後に石川文洋氏は1938年生まれなので、現在82歳?

私はこの写真家は人間味があって好きなのだが、北ベトナム側にあまりにも肩入れし過ぎだといって嫌っていたベトナム難民の方もいることを知っていた。

 

ベトナム戦争時代、後に政治家となる作家の南ベトナム行きに同行していたのだが、大砲のようなものを北ベトナム側に試しに打つように南ベトナム軍の誰かに勧められてやろうとしたときに、石川氏が「あなたがこういうことをする理由がない」という内容で止めたというエピソードを知ったのもベトナムコーナーの本か雑誌からで、感動したものだった。


今調べてみると、この作家は1968年にベトナム取材をしているので、36歳ぐらいで、それを制止した石川氏は30歳ぐらい?

石川文洋氏の沖縄生まれと関連づけたらいけないのかな。

現在この人のことを顕彰する博物館がホーチミン市にあるらしい。

 

戦争は軍需産業の在庫を減らすためであり、また新たな武器の実験場でもあると強く思っているので、やりきれない。

枯葉剤なんかの実験も兼ねた戦場という感じもした。

写真集の迫力という点ではベトナムに並ぶ国はないと思ってきた。