Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

アジア図書館の本 ー『両班(ヤンバン)―李朝社会の特権階層』ー

著者は大学教員をされている方で1995年に発行された中公新書である。

アジア図書館を辞めてから出版を知り購入したのだが、アジア図書館にも典型的な社会科学系の蔵書として所有してあると思う。


とても興味深い本だった。

長い間解けないままに頭の隅にあった問題を解いていく手がかりを得たような感じがした。
たまたま家の検証のために族譜を手元に置いていた時期だったので、その族譜の眺め方、楽しみ方も教わった。

 

族譜を簡単に説明すると、宗族の男性構成員について、生没年月日、経歴、配偶者などの情報が記載された本で、配偶者は姓と本貫のみの記載であり、女子には本人の名が載せられずに夫と子の姓名・本貫が記される。

現代は女子も男子と同じように名まえが記載されている。

 

族譜に載っている情報はもちろん嘘や出鱈目ではないが、記載内容については戸籍のような正確さは求められていないと思う。
だから海外にいて詳しい情報がわからない人や北朝鮮に行った人たちのような場合は名まえだけになっていた。


お墓についてはわからないけれど、日本でなくなっていることがわかるなら、「墓在日本」となっているケースも見たことがあった。

知り得た情報はできるだけ残していこうという情が伝わってきたものだ。

朝鮮半島の歴史関係の研究者も出版物もまだまだ少なかった40年ぐらい前に、朝鮮史を読み始めた。

両班(ヤンバン)はそのときに知ったことばだった。


当時は「両班=貴族」で、「ヤンバンは朝鮮の貴族なんだ」となんとなく理解し、雲の上の人たちだから当時目の前にあった「在日問題」を考える際は関係ないものと理解した。
つまりわが家に関係がある身分ではないと。

ところが在日でも「ヤンバン」ということばは思っている以上に身近に聞くことばであった。
日本人が日常生活で「貴族」「華族」「苗字帯刀」を口にする比をはるかに超えている。

父から祖父の家の没落は土地調査事業が原因と聞いた。

なぜ申告しなかったのかという点では「うちはヤンバンだから」「ヤンバンの土地は手を出さないだろ」とのん気にかまえて、いつのまにか土地を失ってしまったからだという。
「ヤンバン」ということばで身を守ろうとしていたようだ。

私が知りえた情報で想像するには、祖父が育った一族は他人に貸せる土地も所有していたが、どうやら農業を生業にしていたようだ。

しかし汗水流して農作業をしていた感じはない。

むしろ男子にあっては肉体労働を蔑んでいた気風が感じられた。
父は祖父のことを「肉体労働ができない人」と表現した。
肉体労働ができないとは、親の世代の男子が肉体労働をしている姿を見ていないと解釈している。
祖父は書堂という当時の教育機関で学び、漢文の作文能力を持つ人で漢字文化圏なら筆談でコミュニケーションがとれたという。

こういうライフスタイルを持つ一族とは一体なんだろうと思ってきたので、この本はとても参考になった。

在日の方は世代を経てきたので、「ヤンバン」を口にする人はほとんどいないと思う。

北朝鮮ではなおさらそうだと思う。

 

もう10年ほど前に、韓国での宴席で誰かが、相手に姓と本貫という出身地を訊いていて、初対面の相手が答えると「○○(出身本貫名)安氏はヤンバンやね」という言い方をしていたことが印象に残っている。

そういってもらえると答える方もうれしいし、尋ねた方も知り合いになれてうれしいという感情が場の雰囲気をやわらかくしてくれる。

実際にはこういう使い方をするんだわと感心した。

 

現在の「ヤンバン」は曖昧な表現であり、かつ庶民的で、みんなで共有していて、社交辞令のようになってきているような気がする。

 

では、この「ヤンバン」を日本語にどう翻訳するか。

「ヤンバン」を「貴族」や「名門一族」と由緒正しい出自という意味合いで訳してはズレでしまう感じがする。

「安氏は何代にも渡って○○に暮らしてきた一族」ぐらいの意味合いを表現する方が日本社会ではなじみやすい気がする。

「ヤンバン」ということばがなじまない社会では、このことばを大層にとらえる必要はないと思っている。

 

この本によると、韓国社会で出自を「ヤンバン」と意識する人たちはなぜか多いらしい。

著者は、それを一種の社会運動ととらえたら理解しやすいと書かれていたと記憶している。

著者が控えめに表現しているこの「社会運動」という言葉で、私の中で引っかかっていたものがポロっと取れた感じがしたものだった。

 

今私は「ヤンバン」と聞いたら、韓国で楽しんだ民俗的雰囲気いっぱいの居酒屋を思い出す。

この本が出版されてもう数十年たつ。

現代では「ヤンバン」ということばは死語になっているのだろうか。

そうでなければ、どういうときに韓国の人たちは「ヤンバン」ということばを使うのだろか。