Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

孫文と孫文記念館

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日本では孫文として知られているが、中国や台湾では孫中山、欧米では広東語のローマ字表記であるSun Yat-sen(孫逸山)として知られている。

一旦定着したものを変えるのはむずかしいかも知れないが、孫中山でそろえた方がいいように思うが。

 

孫文については、私の好きな人物である朱徳は実際会っていてとても誠実な人間だったとアグネス・スメドレーに語っている。

作家ハン・スーインはあの動乱の時代にあって誠実すぎたととらえていたようだ。

 

アジアの中の一員としての自分を発見する方法は人によっていろいろだが、私は教科書でしか知らなかった孫文を再認識することだった。

 

アジア図書館を運営している団体「アジアセンター21」の代表をなさっていた方が、関西大学教授の故山口一郎先生だった。

辛亥革命の父と仰がれた孫文の研究家として知られていた。

兵庫県神戸市垂水区明石海峡大橋の近くの舞子公園内にある孫文記念館の初代館長もなさっていた。

この建物は八角形の中国式楼閣で「移情閣」と呼ばれていて、もともとは華僑の貿易商の別荘であったが、現在は国の重要文化財に指定されるにまでにいたっている。
山口先生をはじめとする関係者の働きかけがあったからだった。
とてもかわいらしい建物で、海岸は目の前にある。

孫文記念館にはこれまでに4,5回ほど行ったが、料金はとても安かったと記憶している。

イギリスの青年を連れて訪れたこともあるが、孫逸仙を教科書などで見たことがあるかどうか尋ねると「知らない」ということだった。

この記念館には中国語を話す観光客が来てるときや中国語の講座もあるそうだが、普段はガラガラで必ずしもおもしろい場所とはいえない。

イベントをするには小さすぎる空間だが、孫文を扱った珍しい映画などをときどき見せてくれたらいいのに。そうしたら、私は多分常連になりそうだ。

 

周辺は明石海峡大橋や淡路島をのぞむ公園になっていて、ウォーキングやジョギングをしている人が多く気持ちのいい空間になっている。

釣り人も多く、親子で釣りを楽しむ姿も週末には見られる。


もう数十年前に、山口先生には何度かアジア図書館でアジアを囲む会という小さな講演会で孫文について講演していただいたが、当時の私にはむずかしかった。

孫文についてはほとんど知らなかったし、まして辛亥革命の歴史的意義ももう一つわかっていなかったからだった。


山口先生が参加者にできるだけわかりやすく語るその穏やかな口調を、スタッフとして雑多な作業をしながら耳にしてきて、とても功績のあるえらい人なんだとは感じてきた。

参加者の大学生が「こんな初歩的な質問していいですか」と恥ずかしそうに前置きして、
孫文って結局、右ですか左ですか?」
と質問してくれたとき、私が聞きたいことを聞いてくれた感じがした。
先生は「右でも左でもない」ということをていねいに説明されていて、ちょっと孫文に近づけた感じがした。

孫文は私は幕末の吉田松陰高杉晋作を足して2で割ったような人物と考えているが、的外れかな。

アジア図書館を辞めてから、山口先生が学会出席のために滞在していた中国で亡くなられたことを知った。

山口先生を思い出すと、そこでの仕事は孫文の理念の実践でもあったことを思う。