Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

沢村貞子と左翼活動

あとにも先にも毎回楽しみに観たNHK朝の連続ドラマは、往年の女優沢村貞子さんの若い日をモデルにした『おていちゃん』だった。

事情があって見逃してしまったら、ちょっと引きずってしまうぐらい熱が入っていた。

もう40年もたっている!
共感するものがあったんだと思う。
エッセイもよく読んだ。


実は、これをちょうど観ていた時期に韓国に数週間滞在することになり、しばらく見れなくなることが残念で仕方がなかった思い出がある。

ところが、釜山の日本語がわかる遠縁のお宅を訪ねたときに、テレビの話題になり、釜山では日本のテレビ放送が入って、しかも「おていちゃん」が好きで毎日見ている、といわれてびっくりした思い出がある。

 

当時の釜山でのテレビ放送は、時間制限があって昼間はほとんどなかったし、チャンネル数も少なくて、日本と比べるとすごく寂しいものだった。

だから、秘かに日本のテレビ放送を受信していたのかな。

もう遠い記憶になってしまった。

 

もう私より若い世代で俳優の沢村貞子を知っている人はほとんどいないだろう。

このドラマでは銀行の取り付け騒ぎ関東大震災も出てきて、今時期とちょっと重なることに気がついた。

すごい美人というわけではないので、名わき役として存在感を築いた沢村貞子が、若い頃左翼活動をしていたことはエッセイでも明らかにしていたし、ドラマの中でもそういうシーンが描かれていた。

1906年明治41年)生まれで日本女子大を中退前後、「働く人たちがみんな幸せになるための運動」に生きがいを感じて、新築地劇団の研修生になったという。
純粋な動機であった。

1933年(昭和7年)ごろ、治安維持法違反で「雑魚」として逮捕され獄中生活をおくっている。
取り調べの際、特高刑事から素っ裸にされて、どんなことばを浴びせられたかということもさらりと書いていた。
当時こういう取調べは普通だったと理解している。
 
平成の時代になって新たな視点で脚光を浴びた『蟹工船』の作者である小林多喜二は、1934年(昭和8年)ぐらいに治安維持法違反で特高に逮捕され、殺意をこめた拷問を受けて、無残な身体になって亡くなっている。
これはひどすぎる。

沢村貞子は仲間を裏切りたくないというこうとで、口をつぐんでいたが、先輩の裏切りを知って政治運動から一線を引いたということらしい。

で、エッセイの中で、左翼活動内部での男と女の関係にちょっと触れていたことが印象に残っている。

詳細は忘れたけれど、彼女のことを一方的に好きになった先輩は、特高刑事から逃げている身だったが、ときおり彼女と落ち合い食事をする。

隣室には布団が敷かれていて、先輩は自分のペースで彼女を抱く。
沢村さんはわけがわからないまま、こんなものと身を任せたという感じのことが書いてあった。

この「世の中を変える志はあるけれど、金のない男の習い」は時代の変化を受けながらも、ある時期まで「左翼」と呼ばれる組織には、わりとおおっぴらにあったのではないかと思った。
もちろん中にいたことはない私の独断ではあるが、信頼できる方の文章を読んでいるとずれている感じはしなかった。

 

もう右や左なんて古臭い発想だ。
明確な線引きもない感じがする。


個人的にはやや右よりの人との接点があまりないので、接触したときはいつのまにか「いいこというんだ。わかるわ」なんて共感点を見出していることが多かった。

一方、やや左と思われる人たちは、私のような存在は珍獣として表向きはしばらく丁重に扱ってくれるが、関係がくずれると、こちらも期待する向きもあって、どん底にはまる危険性をはらんできた。

やや左を標榜するいろいろな人を見てきたけれど、見た方も完璧な人間ではないのでここまで。

「おていちゃん」のようにならなくて、結局どんな「運動」にもはまらなかったのは、社交嫌いで人と合わせるのが苦手だったからだと思う。

よく今まで生きてこれたなと思うときもあった。

 

この歳になって、人間として良識、知性、勇気、隣人への善意の提供、弱さの自覚……こういうことを大事にしたいという思いにたどりついてきた。

 

さて、沢村貞子は出所後、お母さんの「お前のしたことは決して悪いことじゃないよ」の一言に励まされ、「学校出の赤い女優」として生きていくことを決めたという。
これは記憶の納め方をちょっと間違えたら、今でいうトラウマになっていたのではないだろうか。

沢村さんがその後素敵な生き方をしたことは、多数のエッセイで知った。

紆余曲折を越えてきた人には惹かれるものがあった。