Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

「東海村JCOバケツ臨界ウラン放射線・放射能被爆事故」の動画

2011年3月11日に起きた東北大震災に続いて、フクシマの原発事故に接し、ネットなどで必死に有益な情報を求めていた頃に見つけた動画だった。

 

NHKドキュメント番組として以前に放映されたものらしい。
この事件に関してはその後もときどき思い出したのだが、ほとんど報道されていないので、何らかの規制があるのかなと秘かに当時は感じていた。

ほんとかどうかわからないが、削除される可能性があるとのことで急いで観た記憶がある。

 

内容は被ばくして亡くなった大内さんの80数日に及ぶ治療の記録で、最期は形容できないような身体に変容していったらしい。

この件については、フクシマの原発事故関連の講演会でも紹介されていた。

 

医師と看護師の語りの中でのみ登場する夫人の賢明さ、気丈さに、最近原発関係の動画を多く観ているが、初めて涙が出た。
待合室ではずっと折り鶴を折っていたと。

そして小さな息子さんと最期の対面をしたときに初めて大内さんの顔を覆うガーゼをはずし、夫人は堪えて泣いていたと、そばにいた看護師が語っていた。
この方は語るものを秘めて、このたびの原発事故をどこかで見つめているように思った。

NHKの番組を観ているときに、緊急性のある情報は左側と上部の画面が青色に変わり、テロップが流れるが、こういう伝達方法でニュースを観たのは、この事故報道が初めてだった。

これ以前にあったかな? 

目に見えない放射能被ばくを避けるために、現場からできるだけ遠くに避難するように一般市民に警告する情報で、何事もなくすごしている現実との落差を感じて怖いものを感じたことを覚えている。
もう20年も前の事故だけれど、その後のことはよく知らないことをあらためて思った。

話しは変わるが、放射能被ばくによる影響をあれこれ考えることが多い中で、田中好子さんが亡くなったという報道に接したことは衝撃的だった。

乳がんとの闘病生活を秘めていた人だったなんて、知らなかった。同世代なので、彼女の熱烈なファンだった男性を知っている。

スーちゃんの存在なくして青春時代を語れないという感じだった。

 

3月11日まで考えてきたことは、いったいなんだったのか?
プツンと切れてしまって、その後に繋がらない感じがしたて今にいたっている。