Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

『朽ちていった命 ー被曝治療83日間の記録ー』を読了

1911年、東北の大震災に続いて、原発が爆発した。

これからどうなっていくのかよくわからないまま、テレビやネットの情報に釘づけになったことは覚えている。

そんな日々に、この本は近所のブックオフを覗いて、新潮文庫の棚で偶然見つけたものだった。
夕飯の後片付けを終えてから読み始めて日付が変わるころまで一気に読んだ。

しっかりした情報を求めていたんだと思う。

 

1999年に起きた茨城県東海村の核燃料加工施設「JCO東海事業所」でウラン燃料の加工作業中の作業員による臨界事故を扱っている。
放射線のなかでももっともエネルギーの大きい中性子線による被ばく事故だった。
作業員自身が臨界に達したときに放たれる「チェレンコフの光」と呼ばれる青い光を直接見ているという。
裏マニュアルにそったバケツを使った作業だったことは有名。

この本は被ばく者の一人の大内さんの治療記録。
過去に前例のないケースなので、医師も看護師も試行錯誤の治療を続ける意味を問う深刻な葛藤を抱えていたことが伝わってくる。
一方、大内さんの家族は医療スタッフを全面的に信頼し、最後まで望みを捨てないという姿勢を持ち続けていた。
特に妹さんは自らの骨髄と皮膚を提供している。
こういう家族の支えが医療スタッフ側の救いになっていたと医師は証言している。

入院当初は看護師がほんとに重症患者なのかと思うほど、心身のダメージをほとんど受けていなかったが、ある時期からどんどん悪化していったらしい。
内部被ばくの怖さー放射線がDNAを破壊し、身体を内側から溶かしていくという。

夫人が賢明な方だ。
大内さんが亡くなって1年たったころの夫人から医師にあてた手紙がある。

 

「事故以来、ずっと思うことは、自分勝手と言われるかもしれませんが、例え、あの事故を教訓に、二度と同じような不幸な事故が起きない安全な日々が訪れたとしても、逝ってしまった人達は戻って来ることはありません。逝ってしまった人達に“今度”はありません。

 とても悲観的な考えなのかも知れませんが、原子力というものに、どうしても拘わらなければならない環境にある以上、また同じような事故は起きるのではないでしょうか。所詮、人間のすることだから……という不信感は消えません。

 それならば、原子力に携わる人達が自分達自身を守ることができないのならば、むしろ、主人達が命を削りながら教えていった医療の分野でこそ、同じような不幸な犠牲者を今度こそ救ってあげられるよう、祈ってやみません」


胸を打つ文面なのだが、もし私の身内が大内さんのように入院したならば、きれいな身体のまま楽にさせてほしいとまちがいなく頼むと思う。
ここまで被ばくしたなら治せないことはこの本を読むとよくわかるからだ。

 

なお、大内さんと篠原さんに対する業務上過失致死などの罪に問われたJCOの6人の幹部の裁判は、2001年4月23日始まった。

この中で検察側は、大内さんの妻が「夫は日ごろ自分の仕事は危なくないと言っていたが、仕事の危険性をよく理解していなかったのだと思う。今では夫は会社に殺されたのだと思っている」と証言していたことを明らかにした。

 

当時、現場ではJCOの社員による決死隊が組織され、国の現地対策本部の指揮下で、臨界を収束させる作戦が展開された。
私はこの決死隊は将来自分の子どもを持つ可能性がない人が抜擢されたと人伝に聞いた。
当然若い人ではない。
この本は大内さんだけを焦点にあてているが、犠牲者は他にもいるように思うが。

ただちにすべてを止めることはむずかしいと思うが、「止めましょうよ、原子力なんて。怖いじゃない」というのが率直な感想だった。