Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

エスペラントと英語

2010年チリでの鉱山事故を知ったときに、その当時もう亡くなっていた知り合いのHさんのことを思い出した記憶がある。

 

鉱山事故で地下に閉じこめられた作業員救出作業が始まり、一人目がカプセルから出てくるところはテレビでリアルタイムで観ていた。

いよいよお父さんが上ってくるという段階に入って、幼い息子が感極まって泣き出すシーンが感動で、こちらもちょっとウルウルしてもらい泣き。

そのとき一連の報道の中で、希望を意味する「エスペランサ」ということばを何回か耳にしたのだが、夫も私も50代という若さで逝ったエスペランチストの知人Hさんを思い出す瞬間を持っていた。

もともとは夫の行きつけの「立ち飲み屋」の常連客という縁で親しくなり、私も数回いっしょに飲んでおもしろい話しを聞くことができた。

満州から引き揚げてきたのだが、38度線を越えてやっと韓国の釜山で引揚船に乗る際、親とはぐれて迷子になって「あわや……」という話、引き揚げ後の生活の困難さ、学生運動、挫折、語学を必死に勉強したこと、新婚旅行は韓国のエスペランチストを訪ねる旅でもあったこと、好きなヨーロッパ映画の題名をそのままお嬢さんの名前にしたこと、息子さんの行く末を心配していたことなど。 

酒をこよなく愛する人で、ヨーロッパのエスぺランチストを自宅に招いて交流という知識人の顔も持ち、下町の「立ち飲み屋」で庶民の酒を一人でたしなむ時間も大切にしていた。

なじみのスナックでは「先生」と呼ばれていたと夫の証言。

アナーキスト」を自称して、ヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』の時代背景あたりのアナーキズムの在野の研究家でもあった。

このあたりはむずかしくてよくわからないのでここまで。

仕事柄インターネットはかなり早くから利用していて、一般に普及し始めたころ、インターネットで世界をつないでいく言語として「エスペラント」の地位を上げることに関心を持っていた。

積極的に講習や講演をしていた頃に「病」を得て亡くなった。
本人の強い希望で「葬儀」「周囲への告知」もしていない。

夫も「立ち飲み屋」でのうわさではじめて知った。

もちろん英語は「言語帝国主義」ということばで否定的にとらえていて、受身で聞くしかなかった。
アジア図書館にいた頃は「エスペラント」について考えるきっかけもあったが、その頃に比べるとだいぶ考えが煮詰まってきて、今なら私の「言い分」もあるが。

Hさんがなくなってしばらくして、新聞のコラム記事で、同じエスペランチストでもある夫人が遺稿集を編集しているということを知った。

Hさんはアナーキストだからなのか、政治、経済、宗教など世の中のこと全般に渡って感情的になることはなく、距離を置いてクールに眺めている感じだった。

世俗的なことにほとんど興味もなかったようにお見受けした。

 

病気になってからは医師から大好きな酒類を一切止められていて辛かったようだ。
亡くなった後、夫人がかばんの中から飲みかけの焼酎の入った瓶を見つけたという笑えない話を聞いたときはほんとに好きだったんだと思った。

Hさんの亡くなった年齢を今の私はとっくに越えている。

あらためて早く亡くなりすぎたと思う。

私もやりたいことはどんどん進めていこうと思う。

 

英語についてはHさんが今生きていたら、「やっぱり英語じゃないですか」と言いたい。

多言語を話す人たちを知っているので、人間は複数の言語をある程度受けいれる能力は誰でも持っていると思ってきた。

日本社会では英会話能力を伸ばす必要性がなかった。

これだけ米国の影響下にあるというのに、不思議だった。

 

エスペラントについてはこれからもいっそう衰退していき、20世紀の遺物になると思っている。

もうひょっとしたら、遺物かも知れない。

 

エスペランチストは日本だけでなく、世界のどこでもそうだと思うが、インテリやエリート層の趣味の言語という感じがしてきた。


Hさんからエスペランチストの学習会にはそうそうたる肩書きを持つインテリが集まり、エスペラントで講演しているときに、途中でいつのまにか英語に切り替わったりしたなんて話を聞くと余計に思った。


エスペランチストが平和主義者だということには敬意を持っているが、私から見れば、雲の上の人たちだった。

そういう人から言語帝国主義ということばで、英語をさらりと流してエスペラントをと言われてもそう簡単に納得できなかった。

 

社会的に立派な肩書きはなくとも、エスペラントを話せる人はほとんど英語(地域によればロシア語)も話せる人ではないだろうか。それと外国語の効率的な学習方法や楽しみ方を知っている人だったと思う。

 

一方で、母語+学校で習う外国語、または生活のために身に付けた外国語で四苦八苦している人たちは多いはず。私もそうだった。

 

広大な中国大陸では地方ごとの言葉があり、中国語を学習することで一体感を築いてきた。

同じような感じで、多言語であるアジアを繋ぐ共通言語としてはっきりと英語を位置づけていけばいいように思ってきた。

「あれっ、英語って南米や欧米でも通じるわ」なんて思えるぐらいに。