Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

父系の血縁集団を表す姓

2010年はまだ新聞を購読していたので、その年のノーベル平和賞に中国の作家で、服役中の劉暁波氏に決まったことを大きな活字で知った。

それまで名前を知らなかったので、「劉暁波氏って誰?」「何をしたの?」なんて思ったものだった。
服役していた理由や受賞理由をあらためて知っても当時はほとんど理解できなかった。

政治にあまり関心をもてなかったからかも知れない。

中国側の言い分も、受賞を支持する側の言い分も、私には同じ距離があるというのが正直なところだった。

それよりも私が気になったのは、劉暁波氏の夫人の名前がやはり劉氏であることだった。
劉氏と劉氏が結婚していることになる。

ひょっとしたら、名前を変えている可能性があるかも知れないが、封建社会の中国だったら、成立していない婚姻ではないかとちょっと思った。

 

最近、中華人民共和国成立の功労者の一人である朱徳の娘が生んだ孫が、現在の中華人民解放軍の幹部にいると知った。

当然生まれたときは朱以外の姓だけれども、朱姓に変えたとどこかで読んだのだが、多分合っていると思う。
軍部にいるので、朱徳との血の繋がりを表現するためだと誰でも考えてしまう。

 

韓国でも離婚再婚が増えてきているので、離婚後再婚した女性が、前夫の姓を名乗る子どもたちの姓を現在の夫の姓に変えることは法的に可能だと知った。

姓は父系の血縁集団を表現しているので、いかなる状況でも不変だと思っていたが、姓を変えることができる事実に時代の変化を感じた。

父系の血縁集団という本来の意味が崩れてきている。

朝鮮民族漢民族ベトナム民族の姓は血縁集団を表していて、女性は婚姻しても姓を変えることはない。これはよく知られている。

朝鮮民族は、過去において同じ本貫(氏族集団の発祥の地)どうしは婚姻できない法規制と慣習があったが、現在は北朝鮮でも韓国でも法的に婚姻は可能という。
しかし、北朝鮮はわからないけれど、韓国では根強い慣習として続いているはず。

 

金や李などのように数種類の本貫をもつ姓もあるが、たいていは1つである。
だから、違う姓同士なら、たいてい本貫が違うので婚姻可能。
もちろん同じ姓でも本貫が違うなら婚姻可能だが、違う姓でもたまたま本貫が同じ場合は不可能だったと理解している。

この慣習は、非科学的であることは間違いないが、はたで想像するほど窮屈なものではないかも知れない。
選択の幅はあるし、双方にとってフェアな忌避感情であるし、婚姻相手を選ぶ際のたしなみのようなものと理解しているが。

ただ、積極的に残していく遺産とは思えない。
 
かつて中国の留学生に直接きいたことがあるが、同姓との婚姻を避ける慣習はないと聞いた。
地方に行けば、状況は少し違うかも知れない。


ベトナム人の名前のグエン、ファン、フィン、ホー……もみなかつては漢字一文字の姓である。
もう数十年もむかしの話しだが、元留学生で日本の大学でベトナム語を教えておられた在日ベトナム人男性に、こういう慣習があるのかきいたことがある。
南ベトナムで仏教に縁があるご家庭の出身だった。

私の質問に即答しなかった。
首をかしげてしばらく考えて、
「年寄りはいやがる……しかし若い人は結婚するよ」
と答えられた。
 

こうなるとかつて儒教文化圏と呼ばれる地域に存在したこの慣習は、台湾の情報がわからないけれど、韓国において色濃く残されていることになる。

現在の韓国においては、法的には日本と同じように、医学的見地から近親結婚を禁止している部分を除いて、いかなる制約もないことになっている。

 

しかし、実際、韓国内にいるとどうかな。

若い世代の人たちは親の世代に比べるとはるかに変化してきているのは間違いないが、同じ姓や本貫同士、慶尚道出身者と済州島を含めた全羅道出身者との結婚忌避は、現実問題として水面下では存在しているように思う。