朝鮮半島が日本に併合されていた時代の有名な政策「創氏改名」を調べる機会があって、氏や姓、ファミリーネームについて考えたことがある。
もう十年前になる。
日本の苗字は血縁集団ではなく、「家」の名前である。
かつて儒教文化圏にいた民族は血縁集団の名前である姓(苗字同様に姓がない階層もいたらしいが、ここでは考えない)を使う。
血縁関係を表しているので、婚姻関係で変わることはない。
一つ屋根の下に暮らす一族では、配偶者として嫁いできた女性だけが別の姓を持っていることになる。
一方イスラム教文化圏内では姓や苗字を持たず個人名だけである。
むかしマレーシアの女性に、名前の後ろに「アリ」とか「モハメッド」に似たごつごつした男性をイメージする名前が付いていたので訊いてみたことがある。
「○○はお父さんの名前で、□□はお祖父さんの名前」と答えられて、儒教社会の姓のように父系を表現する努力を感じて納得できた。
お父さんとお祖父さんの名前まで一緒ならそれなりに正当な血をわけた兄弟となるのかな。
この名前の表現方法はモンゴル人も同じで、朝青龍や白鵬の本名もこういう構造になっているはず。
ミャンマーについて調べることがあった。
この国も多民族社会で、多分マジョリティに関する情報だと思うけれど、名前については個人名しかないとのこと。
その個人名に母系はもちろん父系も表現する慣習がないらしい。
つまり一つ屋根の下に暮らす家族はみなバラバラの名前しかないことになる。
このあたり見識不足もあってもっと奥深いものがあるかもしれない。
ネット上のニックネームのような世界と考えていいのかな。
私にはなかなか理解しにくい状態で、「不便じゃないのかな」と思ってしまう。
しかし食べることや生きることに、また政治的に不自由はあっても、名前に関しては不自由はしていない。
逆に世界的に見て女性の地位はそれほど低くないということをデータを使った解説を読んだことがある。
以上は私が持っているアジアにおける各民族の名前の情報である。
他の民族のことはわからないし、頭の中はすっきりと整理されていない。
女性の地位の向上もあって婚姻の形態が世界的にかなり変わってきているので、名前に関しては、これからはミャンマーのように婚姻や血の繋がりなどに重きを置かないで、単に「Aさん」「Bさん」「Cさん」のように個体の認識のみ使われる世界になっていきつつあるように見える。
つまり個人としてああだこうだと主張し合っているネットの中の世界。
マイナンバー制度のように一人一人に個別の番号をつけていこうとする発想も似ている。
というわけで、アジア全体を見渡して、名前について各民族の時系列の変化や現在の状況について書かれた一般向けの本を読みたいと思ってきた。