Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

朱徳にまつわる伝説 『偉大なる道』序曲―1

 これは、中国人民解放軍総司令官朱徳将軍の60歳までの生涯を記録した物語である。私がこの物語を書くことを朱将軍は許可してくれているが、公式の伝記というものではない。物語の舞台が遠い過去のものになっているために、また彼が、世界をゆるがしている中国革命の中心的な指導者のひとりであるために、私の記述や解釈について、ていねいに精査することはまったく不可能だったからである。

 

 私がはじめてこの本をつくろうと思い立ったのは、1937年1月、西北中国の古い町延安に着いたときだった。そこはほんの少し前、多くの試練をへてきた中国労働者と農民からなる紅軍と、その紅軍の運命をみちびく中共中央委員会が根拠地にした町だった。私はそれまでに7年間を中国ですごしてきたのだが、そのあいだ、政府側の多くの新聞は、朱徳将軍のことを「紅匪の頭目」、「共匪」、人殺し、盗賊、放火犯などさまざまな名でよび、それが国内の外国語新聞や海外の新聞にこだましていった。しかし彼らは、それではどうして何百万の正直で勤勉な農民や労働者や、理想に燃える学生や知識人たちが、彼が推進する主義のためには喜んで戦い死んでいったか、ということを説明しようとこころみたことは一度もなかった。

 

 彼の名前には、数多くの伝説が織りこまれていた。だから、私が延安に着いて会うことになったときは、たけだけしく英雄的な烈火のごとき人物、雄弁で大森林をも焼きつくすような鋼鉄の革命児というような人物像を予想した。そして、好奇心いっぱいで、私は二人の友人といっしょに、延安到着のその日の夕方に彼の司令部にゆき、彼の部屋の扉をあけて踏みいった。


 最初に目にはいったものは、ろうそくの灯に照らされた白木の机、その上に積み重ねられた書物、綴込み、書類だった。それから、藍灰色の木綿の軍服を着た人が、私たちがはいるのを見て立ち上がるのが、ぼんやりと見えた。


 まずお互いが、たがいを品定めするように向き合って立った。彼が51歳だということはすでにきいていたが、目の前の顔にはしわが深くきざみこまれ、頬はくぼみ、すくなくとも十歳は老けて見えた。彼はつい先頃、あの叙事詩的な紅軍の長征を完了したばかりなので、栄養失調と苦難のあとが顔にくっきりと残されていた。