Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

朱徳の人柄 『偉大なる道』序曲ー4

私たちの作業が伝記の真ん中ぐらいまできたとき、抗日戦がはじまり、彼は前線に出た。私も伝記本の作業は中止して、すぐに前線に向かったが、それはただ別の本を書く目的からだけではなく、行動する彼をできるかぎり観察したかったからである。そういうわけで、1年にわたって私は、仕事をしたり、余暇を楽しんだり、日本帝国主義と戦う彼を見ることができた。

 

 多種多様な軍事的政治的な義務を果たすことはいうまでもなく、彼ほど生命への執拗な意欲をもち、本質的に民主的な人間というものを、私はかつて見たことがないと思った。人間の生存に関するあらゆる問題を、彼はいつかは掘り下げて考え把握する。延安での私との定例の作業以外にも、私の住居の日当たりのいい庭で友人たちがお茶を飲んでいるところに、ときどき彼はひょっこりとあらわれて、南京豆をかじり、雑談をし、歌をうたい、それから彼の口ぐせによるのだが「ホラ」を吹いたりした。

 

 こんな風に気楽でくつろいでいるときに、私はみんなを並ばせてヴァージニア踊りを教えたりした。朱将軍は何をおいてもまっ先に加わり、パートナーをふり回し、ド、シ、ドと調子をとり、閲兵行進の初年兵にもおとらない張りきりようでほこりをけりあげる。私が知っているすべてのフォークダンスを彼に教えてしまうと、今度は西洋式の社交ダンスまでもとめてくる。それで私は教える。

 

 軍務のかたわら、彼は踊る……ねばりづよく、こつこつと学ぶのだが、こういうことも、古い中国の封建的因習を突きくずすひとつの手段と信じているからである。だが、彼はとても気に入っていたにもかかわらず、彼の幕僚である派手な賀竜将軍のように名ダンサーになる天分には恵まれていなかった。

 

 朱将軍のしていることを見のがすまいと私はあちこちとうろつき、紅軍大学、――抗大つまり、抗日軍政大学と改名されたところで講義している姿もときどき見たし、その大学の庭で学生たちとバスケット・ボールをしているところも見た。後日には、前線で彼と幕僚が司令部の衛兵たちと試合をするのを、私はサイド・ラインに批評家のようにすわってたびたび見たものである。朱将軍はときどき、少し悲しそうに首をふって、若い兵隊らがわしを下手だといって組に入れてくれんといってふさぎこんだ。

 

 芝居や歌が好きだった。絶対はずせない用務のないかぎりは、延安でも前線でも上演を見逃すことはなかった。第二次世界大戦の末期のころ、延安にきたアメリカの軍事視察団がアメリカ映画を公開したとき、彼はほとんど毎晩そこにあらわれて、アボットコステロにわいわいと掛声をおくっていたが、ふたりは中国古来の道化役やどたばた喜劇役にぴたりとはまっていたからだろう。