Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

封建主義への怒り 『偉大なる道』第1巻①ー3

 幼いころの記憶のひとつに、不正への怒りというものがある。彼と兄弟たちは川や池で釣りをするのが好きだったが、彼らの地主の番頭につかまるのを恐れて、こっそりとやらなければならなかった。というのは、川や、うちの小さな畑の中の池のどんな魚も、地主の丁のもので、手下がやってきては網でさらってもってゆくからである。「子犬」と兄弟たちはわめいて抗議したが、歳とったものたちはむっつりと黙りこみ、父は相手が消えてしまってからののしった。同じ奴らが、秋には果樹の実をもぎにやってきたが、朱の家の人びとを「お前らぬすんだな」といって泥棒呼ばわりすることもあった。あらゆる池と川のすべての魚、小作人の土地のあらゆる果実、山々のあらゆる森は地主の丁家のものとされた。中国は、――基盤的には民主性をもつ人びともいるかも知れないが、封建主義の国であった。

 

 朱徳は、アメリカの子どもがジャックと呼ぶものに似ている球遊びをしたことを思い出したが、ちがっていたところは、彼と兄弟たちは石ころと固く巻きしめた紙玉を使ったことである。秋には、彼と兄弟たちは凧をつくって、山腹からあげながら、災難よけのための菊の古歌をうたった。

 

   菊の花は黄色い、おれたちは強い

   菊の花はかおる、おれたちは元気だ

   重陽のお節句だ、菊の酒飲もう

   重陽のお節句に、人と菊が酔った

 

 この歌は、彼の生涯を交響曲のライト・モティーフのように流れつづけてきた。古い伝説によると、巫術師(ふじゅつし)が弟子たちに洪水を告げ、山に逃れるなら彼らも家族も難を避けることができると教え、彼らはその言葉にしたがった。その後ずっと中国の人たちは、その日に凧をあげて菊の歌をうたう。

 

 朱家の長兄タイ・リーは四つ年上だったが、笛と二弦の琴である胡琴をもっていた。「子犬」はそのそばにすわって、ほれぼれしなら聞いた。彼自身の手が大きくなると、自分で演奏できるようになり、大人になってからはいろいろな楽器を買って習った。

 

 次兄タイ・フォンは二つ年上だったが、朱徳を悲しませた。というのは、鳥をわなでとり、大きくなると家の鳥銃で打ち殺した。「子犬」は瀕死の鳥のところにかけつけ、手に持ちあげて泣いてやった。母親がタイ・フォンに鳥を殺すことを禁じたが、それでもすきを見ては殺した。