Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

封建的因習 『偉大なる道』第1巻①ー8

「祖母は並はずれて腕ききで、差配ぶりもりっぱで、棺桶にはいるまでは、一家のものといっしょになって、体力相応に働きつづけた。地主へ小作料を完納することを祖母は一番苦心していた。小作料は穀物の収穫の半分以上だったが、そのほかにも、卵、ときおり鶏や豚まで封建的な特別の貢物(みつぎもの)としておさめなければならなかった。われわれはみな、この古い封建の貢納をにくんだ――言葉の定義とやらはいろいろあろうが、私はあえて封建制というのだ。なぜなら、地主郷紳(きょうしん)どもはわれわれの仲間の農民を奴隷あつかいして、あらゆる種類の負担と義務をおっかぶせてきたからだ。

 

 「たとえば、毎年夏に、うちの地主がおおぜいの家族を引きつれて涼しい山の別荘に行くときには、小作の男どもはみな、いっさいの仕事を休みにして、ただで搬送してやらなければならない。秋には連れもどさなければならない。また、世の中がざわついて土匪が暴れだしたり、農民が一揆をおこしたりすると、小作人は地主の家に集合して武器をわたされ、御主人様のために戦えと命令される。農民はこういう古い封建的因襲を運命とあきらめて受けいれた。そこからの出口が見えなかったのだ」

 

 まわりの小作人同様に、朱家は旧正月の夜が明けるまでに、いっさいの年貢を片づけなければならなかった。年の暮れには、家族は居間にあつまり、祖母が朱徳の養父である長男の助けを借りながら、全員にこの年の収入の配当をし、誰がどういう衣類がいるかを決定した。女たちは、家の中のどんな切れっぱしのこともわかっていたから、誰のズボンは継ぎ当てできて、誰のが新調しなければならないかをわかっていた。どの衣類もすり切れて影も形もなくなるまでは継ぎ当てされた。上衣とズボンは腫れものにさわるように大事にされたが、女たちがつくった布靴はよほどの時でなければはかないので、ずっと長くもった。この家族会議ですべてが決定されたあと、倹約家の祖母は家の貯金を集めて、彼女の寝室の床下に埋められた壺に入れる。

 

 仕事は朝食がすむとすぐはじまり、昼と晩の食事のときに中断するだけで、暗くなって寝床にもぐりこむまでつづく。夜になって灯をともすなんていうことは、言語道断なぜいたくなことだった。それは、わが家の畑で育てて乾かして市場に出すタバコを、家族の誰かが吸おうかと言い出すぐらいぜいたくな話だ。まあ、ときには朱家の男たちは、1本のキセルにタバコをつめて、みなのあいだを順々にまわして、ひとりが一口ずつ吸うというのが山々だった。たまに朱徳の父は、おたがいにキセルいっぱい吸ってもいいじゃないかとおおっぴらにいった。だが、この男はみなで監視しなければならないほどの不平屋の乱暴者だったのだ。