Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

大街道をいきかう人びと 『偉大なる道』第1巻②ー2

 朱家の人たちは、そうした古来の祭祀を信じ、作物をつかさどる土地神や、さまざまな善い鬼神と悪い鬼神の存在を信じていた。出没自在の狐の霊はとりわけ厄介で、さまざまないたずらをしたり、化けてさまざまなもの、たとえば髭を生やした老人や、また相手が隠士とかひとりものの学者のときには、きれいな若い女に化けることもできた。「もちろん、ばかばかしい迷信だ」と朱将軍はちょっと笑った。「だが、さびしい学者なんかには好都合だったな」

 

 彼の家族は、貧苦は星まわりの悪さからきた不運なのだと思っていた。無学文盲で、厭世的で、不運に溜息をつくことしかできなかった。骨身をけずる労働のほかには何も知らない。「小犬」も幼いときには、そのころの迷信のすべてを幽霊の存在までふくめて信じていた。一度彼は、大街道をゆく旅人がアメリカに行った人の話をするのを聞いた。何でもそこでは、人びとは幽霊はいないと考える建前になっているので、じっさいにいないようになっているということだった。その話はよほど強い印象をあたえたようで、朱将軍は50年後でも覚えていた。

 

 大街道といっても、彼が家のわきを通る車一台ほどの幅の道をそう考えていたにすぎないが、その道は少年時代の彼に絶大な影響をあたえた。それは、帝国の領土にまばらな網目をつくっていた旧公路から分かれてきた道だった。南からやってきて、儀隴県に向かってのびて、それから山岳地帯をすすんで、ある大公路といっしょになり、西安に、さらに帝都北京に達していた。

 

 幼少時代の彼は、この街道をとおる旅人をながめて、時をすごすことが多かった。重慶からはるか南方に貨物をはこぶ商人もあり、旅まわりの職人も、またときには長衣をきた学者もいて、また、あの閻王までがはなやかな籠にのって、下男を急がせながら、自分は扇を使ってやってきた。旧正月が近づくと、ときおり役人がりっぱな緑色の籠にのって通り、従者たちは脇を走ったり、前を走りながら身分の低い百姓どもを追っぱらったりした。葬式の行列も通り、棺のうしろには、白い粗布の服を着て白い鉢巻をした泣き男や女たちが歩いたが、なかには式自体を楽しんでいる様子をありありと見せているものもあった。花嫁行列もきた。紅い衣裳の花嫁は、紅い花嫁籠(かご)のとばりのかげに恥ずかしそうに身をかくし、前後で旗をかついだ男、じゃんじゃん打楽器を鳴らす男が歩き、花嫁の家具、衣裳、そのほか婿の家に運びこむ一切の道具をのせた籠をかつぐ男がいる。こういう婚礼は、世界のどこの国の農民でもそうだろうが、なかなか陽気で、猥雑なもので、経験豊かな年長の女が花嫁の頬を真っ赤にもやすようなことを教えたり、子どもや大人が、花嫁の寝床の下のバネ代わりに張りわたされた綱に鈴を結びつけたりしたものだ。