Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

大街道の旅人の語り 『偉大なる道』第1巻②ー3

 「伏犬丘」のほとりにしゃがんで、「小犬」は世界が流れてゆくのを見る。稀にしか門を出ない郷紳の家の女が籠でとおり、百姓女たちが、ろばの背にゆられながら、どこかの寺へ子どもを授けたまえと祈祷しに行ったり、占い師のところへかよったり、年一度の里帰りをしたりする。市の立つ日には、「小犬」の母の里の人たちのような芸人の一団がとおりすぎ、百姓は売りに出すものを運んでゆく。長い籠をかついで塩をはこぶ苦力が、列をつくってとおる。この塩運びの苦力はみじめな連中で、ぼろをまとい、体はやせこけ、ときには足は傷ついてうみを流し、多くのものは肺病の咳をしていた。

 

 ときおり朱家の人たちは田んぼ仕事をやめて、家の前の木かげで休息する旅人と湯をいっぱい飲みながら、話をしたりした。そういう人びとから、「小犬」は、中国というのは大きな帝国の四川よりももっと大きいものだと聞いた。つづいて彼らは、まるで気やすげに、重慶西安、それから人びとから「老仏」と呼ばれていた邪悪な西太后が竜の玉座にすわっているという北京のことを話した。ときには、彼の先祖たちの地である広東のことを話題にすることもあった。省の都の成都は、はてしなく古くて高くて長い城壁をめぐらし、5つの門のうち清達門は大雪山脈チベット中央アジアに向かってひらき、迎ウン門は東にひらく。しかし朱家に近い方の門がただ「北門」としか呼ばれないのは、不公平のようだった。

 

 帝国のあらゆるところからくる商人が成都に旅してきて、毛皮、麝香(じゃこう)、翡翠(ひすい)、茶、それから薬草、絹などの四川の名産物を買った。そのほかにも、ある種の病気の妙薬とされる虎の骨や鹿の角、それから銀の重さと同じ値打ちのある貴重な人参なども買うことができた。

 

 時がたつにつれて、「小犬」はもっと遠い都市のことを聞いた。はるか南の雲南府は雲の南の国である雲南省の都であった。その向こうのビルマは「小犬」が生まれる前の年に英夷どもが奪いとった。広東の南の安南は、同じ年にフランス人が中国とたたかって奪った。北京はその戦費のために塩の値上げをして、そのために人民は反乱をおこした。

 

 大街道の旅人から、少年はもっとほかのことも聞いた。洋夷どもは戦えば必ず中国軍をうちやぶったこと、清朝は腐りきっておろかで、暴虐で、軍隊は無力だということ、そのために、長年のあいだ燃えてきた人民の怒りは年ごとに大きくなってゆくということなどだった。また、暮らし向きは悪くなる一方で、街で売る品物はこの2,3年で値段が倍になったということだった。


 「私は、その大街道で、いろいろな旅の人から、帰れといわれるまであとを追って歩いたものだ」と朱将軍はいった。「私も旅をしたかったのだ」