Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

翼王とよばれた石達開 『偉大なる道』第1巻②ー6

 長い褐色の手としわだらけの顔の老いた職人は、口をひらく。

 

 「満州族のやつらは、人民をしぼることがうまかったなあ。人民だって、大豆じゃないから、やつらが御殿建てるたんびに油しぼらせんわい、ちゅうことを教えてやったんじゃ。今じゃ、どこの野郎でも銀で2万両だすなら、知県になって人民の父じゃ母じゃとぬかすことができるちゅうもんじゃ。儀隴県はな、毎年、銀5万両を成都に送らにゃならんので、そこの知県は、その十倍も人民からしぼりとるんじゃ。わしの若いときには、何百万ちゅう男が、いや女までが、大平軍の総大将、忠王李秀成さまにしたがっていったもんじゃ。あの方は、清のやつらや劣紳や洋鬼なんかのいうこたあ、死んでもきかれなかった。それから、わしのお頭の石達開さまはな、えらい学者で王様じゃったが、私に叩頭(こうとう)してはならんぞ、といわれるんじゃ。ところが今のやつらは、ぺこぺこばっかりしやがって、べん髪が長けりゃえらいんじゃと思っとる。小便袋たあ、そいつらのことじゃ。

 

 「石達開が軍を引きつれて、南からはるばる西へせめていかれたら、満州族どもは、モミガラみたいに、わしらの前でふっ飛んだ。貴州の桐梓ではな、わしらが南門から入るわ、奴隷軍は北門からすっ飛んで逃げるわ、だった。人民はよろこんで、石達開を翼王さまと呼んで、それで翼王さまは、みんなを鼓楼に集めて、これから土地を分けて、その上で働くものにやる、もう虎みたいな地主の持ち物ではないぞ、といわれた。

 

 「人民は、えらい御馳走をして、わしらにいつまでもいてくれ、とせがんだ。翼王には銀をおくったが、王は、それをわしら兵隊に分けるといわれた。わしらは金のために戦争をしたわけじゃなかったけど、それをもらった。

 

 「桐梓にずっといるわけにゃゆかなかった。わしらは、四川から、いや中国じゅうから満州めを追っぱらわにゃならんかった。石達開は、何度も何度もそれをいわれた。だが、わしらが出発しだすと、人民らが寄ってきて、あの人の鞍にすがりついて泣くもんじゃから、また一晩泊まって、御馳走を食った。翼王は百人ほど兵をのこして、若いものに戦争を教えこんでやると約束された。そうしてわしらが桐梓を出ていくと、人民はまた泣いて、遠いところまでついてきた。いや、どこの土地でもそうだったんじゃ。敵はわしらを盗賊だ匪賊だとぬかしたが、人民はわしらを救い主だといった。