Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

翼王石達開の最期 『偉大なる道』第1巻②ー8

「このごろは、貧乏百姓は剣を取って石達開の首を切って満州にわたした、と話すものもおる。それはうそだ。翼王は死ななかった。総督駱(らく)がほざいたように、成都で滅多切りされたんでもなかった。

 

 「石達開は石の河原から陣屋にもどった。そこには四番目の娘が待っていた、と話すものもおる。この人は本当の娘ではなかった。ある学者の一家が満州人にみな殺しされるところを、この娘だけを救い出したのだ。まるで男の子のように育てられて、学識があった。石達開に救われたとき、お礼に妾になります、といったが、そうはしないで娘あつかいにして、書類や手紙の書き役をさせた。

 

 「この四番めの娘が、あるとき翼王生き写しの大平軍の将校を見て、養父に、あの人のもとに嫁入りさせてほしいと頼み、そういう運びとなった。


 「で、上帝に見捨てられた翼王が陣屋にもどったとき、その四番めの娘がいうのは、もう馬もらばもないから、軍はみな餓死するでしょう、5千人はおぼれたし、そのほか、降参がいやだといって身を投げたものもおります。

 

 「四番めの娘は、河むこうの旗には降参すればゆるすとあります、と翼王にいった。そして翼王にここを逃げて軍をひきいて勝つまで戦ってくださいとお願いし、一方で王に生き写しの婿が降参した。

 

「そういうわけだった。だから、満州人に降参して成都で滅多切りされたのは、この四番めの娘の婿だったのに、総督駱秉章(らくへいしょう)が石達開ととらえ違いしたのだ。


 「翼王は坊主みたいに頭を剃り、それに傷をつけ、黄色の衣を着て、仏の弟子になりすまして歩いた。だが、四川の真ん中にいたわしらの部隊のもとに着くことはできなかった。というのは、そのときには、わしらの隊も突きくずされて、ちりぢりになってしまっていた。わしは元の機織になった。1年後にはわしらの都南京が満州軍と洋夷のために陥落し、大平軍の指揮の忠王李秀成は、曽国藩の手におち、真夜中に殺された。忠王は、誠心誠意節操を守る人で、死ぬことを恐れてはいなかった。比べるものもないほどの豪傑だった。満州人と洋夷は南京を攻め落とすと、三日三晩殺しまくったが、大平軍はひとりも降参しなかった」

 

……機織じいさんは、溜息をして、口をとじた。

 

 「石達開さんはどうなりましたか」とだれかがきいたが、実際は、みなはすでに数え切れないほど話を聞いて知っていたのに。だが、機織じいさんはいった。

 

 「御用の学者どもは、満州に仕えた曽国藩は大将軍で大学者で、大平軍を打ち負かした、なんかとぬかす。勝ったものが歴史ちゅうものを書くんでな。満州と郷紳のやつらの手の中の鉄砲大砲が、わしらを負かしたんだ。曽は洋夷を恐れたが、中国の人民の方をもっとおそれたんだ。満州人と、虎みたいな中国人の地主と、おとした町や村で人殺しをやる洋夷どもの連合軍を、曽は引き連れたんだ。わしらは、負かした相手も大事にあつかい、ひもじいものには食べ物を分けてやり、困ったものには利息なしで金を貸してやったが、わしらの敵は人っ子ひとり助けはしなかった。あの大渡河で、総督の軍が、降参すれば身分は自由だと約束したときには、生き残った石達開軍は降参した。すると、武器を取り上げ、大樹堡に連れて行って、みな殺しにしやがった。満州人のやつらは、人の道など知るものか。