Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

伝説になった石達開 『偉大なる道』第1巻②ー9

 「暗い、月のない夜なんぞには、今でも、大渡河(だいとが)の渡しのところや、みな殺しにされた町のあたりで、死んだ大平軍の幽霊が泣いているのがきこえる」


 ……機織じいさんは、いつのまにか数がふえた聴き手の、緊張した顔を眺めまわし、それからつづける。

 

 「あれからのちにも、石達開を見たというものが多い。つい何年か前に、ふたりの男が、岷江の嘉定の渡しのところで見たという。一人は船頭で、もう一人は成都に麝香(じゃこう)と薬草を買いにくる浙江の商人の李というものだった。船頭が舟を突き出そうとするところへ、長い白い髭を生やしたお年寄りが、雨傘持ってあらわれてきて、ただで河を渡してもらえまいか、と頼んだ。船頭が、金なんかどうでもええですわい、というと、お年寄りはいった。

 

 『いま河をわたったら、舟は嵐でひっくりかえる』

 

 「その時まで空はかけらほどの雲もなかったんだから、船頭はあきれてしまった。それで、天を見上げると、おどろいたことには、山の並びの上に、黒雲がわいて走り出した。それで船頭は舟をしっかりしばってから、商人とお年寄りといっしょに、旅のもの相手の居酒屋に入った。まだ腰をかけぬうちに、嵐がさわぎ出して、舟なぞはこなごなになった。びっくりした船頭は、お年寄りに、どなたでござりますか、とたずねると、その人はいわれた。

 

 『わしはもうこの世のものではない。じゃからいわんでいいだろう。本当のことをいうたらお前さんがたはこわがるかも知れん』


 それから、いった。

 

 『風と月ととこしえなれど
  江山いずくにありや』

 

 「船頭と商人は、国の不運をなげく、その文句にぎくりとした。それから、すすめた酒をお年寄りがことわるのにも、おどろいてしまった。

 

 「それで嵐もしずまったので、3人は河をわたったが、お年寄りは、あんまり急いで歩き出したので、雨傘を渡し舟にわすれて行った。商人が手に取ってみたら、『翼王』の名とお寺の名が書いてあった。この中国には、翼王という名はひとりしかいない、それは石達開だ。ふたりは、その名を呼ばわりながら、あちこちと探してみたが、姿はもう消えていた。そのふたりのほかには、いまいったようなお年寄りを見たものはおらんという話だ。雨傘は商人が大事にしていて、見せてもらったものも多いということだ」


 ……「機織のおじいさん」「小犬」がふるえ声でたずねる。


 「それは石達開だったんか、石達開の幽霊だったんか?」


 「同じことじゃ!」機織じいさんはこたえ、石達開の愛唱の詩のひとつをうたった。


  われは鞭をふるい

  勝利の悲哀裏に

  中原を駆けゆく

  恩怨ともに心になし。

  上天に知と愛なくば

  わが赤手、民を救い得んや。

  三軍の将兵は手綱をとり

  疲れし馬をあわれみ

  一万のつわものは

  痛みし猿のごとく山をよじる。

  百万の民は悩めども

  わが志はいまだ成らず。

  東南のすべてのもの

  流れる涙で顔をぬらす。


 このような物語を、朱徳はその後の生涯、何度もくりかえし聞くことになった。そして、石達開のたくさんの詩は、彼の世代や後の世代の人たちの脳裏に刻みつけられていった。