Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

恐ろしい清朝の兵士の思い出 『偉大なる道』第3巻③ー1

 ひとたび幼少のころの追憶や感情をよびおこすことを重ねてゆくと、朱将軍の脳裏に、ありとあらゆる小さな思い出の場面が浮かびはじめた。ただ、彼はそんなものは実につまらないことと思っていたので、もし私が、まるで猫のようにそれにおどりかかって、もっとくわしく話してくださいとせがまなかったならば、とり上げもしなかっただろう。ということで、私の願いを気持ちよくききいれてくれたのだが、とにかく忙しい人だったので、どうかすると、そんなことは時間の無駄と考えたようだ。

 

 そうした思い出の場面のひとつ――

 

 いくつの年だったかは忘れた。とても小さいころに、家の前の丘に立って、例の大街道を見つめていた。すると、あらあらしく不気味な、身ぶるいさせるような叫びが、ながながと微風に乗ってながれてきた。

 

 「フウ、ウ、ウ、ウ、ウ、ウー!」はじめはずっと遠いところからだったが、少しずつあいだをおいて、しだいにはっきりとしてきた。

 

 旅人たちから聞いた話では、山の虎がすごくほえると、まだら毛の鹿はたちまち立ちすくんでしまうそうだ。彼は、ずっと前から、虎と、そこに立ちすくんでしまうまだら毛の鹿を見たがっていたが、とうとう出くわしたようだ。だが、あたりを見まわすと、大人たちが田んぼを走って、隠れ場所をさがしているのが目に入るだけだった。戸をしめた家から、お祖母さんが甲高く叫び、兄のタイ・リーも叫びかける。

 

 「『小犬!』もどってこい! はよう、はよう!」

 

 まわりで何か恐ろしいことがおこっているのだ。と、「小犬」は急にぎゃあと泣き出した。

 

 「私は口が大きくて、肺が強かった」と朱将軍は笑いながらいった。

 

 タイ・リーがそばにかけよってきたが、彼を家の中へではなく、家のうしろの竹やぶの方に引きずってゆこうとした。彼は、丈夫な肺の力でかぎりなくわめきたて、虎か何かを口走ったのだが、すると兄は、虎じゃなしに、兵隊のやつらがやってくるんだから、大口にふたをしろ、としかりつけた。タイ・リーが、やっと彼を竹やぶに入れて押さえつけて、うつ伏せに寝かした瞬間に、ふたたび恐ろしい叫喚怒号が空をつんざいた。「小犬」はおそろしさに、口をきく力などなかった。