Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

税や賄賂に苦しむ農民 『偉大なる道』第1巻③ー3

農民は、むさくるしくみじめな暮らしをしながら、群がってくる税吏の下で汗を流していたと彼はつづけた。そういう税吏たちは、すべて吸血鬼と呼んでもいいぐらいで、毎月やってきて、農民から銅貨一枚も残さずしぼり上げようとした。数えきれないほどの旧来の税の上に、彼らは、その場その場で新しいものを頭でひねり出し、「知県殿にほどよく取りなしてやろうか」とか「こちらの出方しだいで……」などという。牢獄は、税や賄賂をはらう力のない農民その他の貧しい人びとでいっぱいだったが、その牢にはいったものを養うことまで、家族たちの肩にのしかかってきた。賄賂をつかえば釈放されるが、それだけの金を手に入れるためには、家族は血までもしぼるとる金貨しのところにゆかねばならなかった。

 

 「私だけがえらばれて教育を受けるようになったわけは、そういうところにあった」と朱将軍は説明した。「税吏にしても、そのほかの役人や軍人にしても、教育のある人間をありがたがったり、また一目おいたりしたから、私の家族は、一人くらいは学校にやらねばなるまいと決めた。もちろん、どこの百姓だって、子どもに教育をうけさせたかった。しかしそのころは、公立の学校はなく、学者がひらいている私塾の授業料は金持ちでなければ払えなかった。農民は、息子を1年か2年は塾にやるかも知れないが、田んぼで働けるようになれば、すぐによびもどされた。というわけで私が小さかったころ、家はあまりにもひどい目ばかりあわされたものだから、百姓も教育がなければ生きられないということになった。一族のものが、みなの蓄えをもちよって、ひとりの息子を教育し、そいつに税吏や兵士を言い負かさせたり、お金の管理をさせようということになった。

 

 「私の家は、よそよりも恵まれていた。ほんとによく働いて、銅貨一枚もむだにせず、かなりのものをたくわえた。はじめは、この蓄えで、先祖代々の大湾の抵当に入った家を取りもどそうという計画だったが、年寄りのものたちが、兄二人と私をできるだけ長いあいだ塾にやろうと決めた」

 

 朱家は、すこしはなれた土地で、自宅に塾をひらいていた老先生と、ねばり強く交渉したあげく、タイ・リーには年8百文、タイ・フォンと「小犬」には2百文ずつを授業料として払うということを了承した。かなりの金額だったが、「小犬」の養父は野心をもった人だった。