Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

飢えた農民の飢餓行進 『偉大なる道』第1巻③ー8

 ある初夏の日に、丁の家族を山に送るために邸宅にこい、と朱家の男たちに呼出しがかかってきたが、そのときだれかが頭をあげて「変だ」とさけんだ。

 

 老三はあやしい物音をきいた。はじめは、家の中でお産をしている母のところからだろうと思った。しかし、馬に乗った男が、猛烈な勢いで道をかけてきて丁家に向かうのが見えた。あやしい音は北の方からきこえてきたが、しだいに大きくなり、その方向の大街道からほこりが雲のように舞いあがっていた。

 

 そのほこりの雲の中から、骸骨のような人間の大群があらわれてきた。ありとあらゆる武器をもつ男たち、赤ん坊を背負うてん足の女たち、そのあとから腹がふくれ眼が落ちくぼんだ裸の子どもたちが、疲れきってとぼとぼ歩いていた。がやがやという渦巻く声のなかで、銅鑼(どら)と太鼓の音が丁の邸宅からひびいてくるのを老三はきいた。「閻王」は小作人を防御戦に召集しているのである。

 

 朱家の男たちは召集をきいたが、動かなかった。餓えた人間の雪崩は大街道をひた押してきて、そのうち何百人かは丁の邸宅に流れこみながら、「このでかい家を食いつぶせ!」などと叫んだ。

 

 朱家の祖父母は息子たちを引きとめた。ものすごい騒音の中で、朱徳の母の弱い叫び声が流れた。また赤ん坊が生まれたのだ。

 

 やがて飢餓行進はすぎ去っていった。朱家のものは、その仲間入りをするほど貧窮してはいなかった。


 あくる日、朱家のものはごろつき兵どもの野獣のような不気味な叫喚をきいた。「フウ、ウ、ウ、ウ、ウ、ウ!」のおそろしい響きに、みなは家の戸をしめてから山に逃げた。しかし、兵どもは立ちどまらないで行きすぎた。何日かあとに、朱家は逃げまどう農民を何人かかくまったが、彼らがひそひそ声で話すのを聞くと、はげしい戦いがおこって、餓えた何百人のものが殺され、傷つき、とらえられた。だが彼らも死ぬことを恐れず戦い、たくさんの兵どもを地獄への道連れにした。彼らは兵に追いつかれるまでに、丁やその他の大きな家を包囲して、殺されるものもあったが、押しいって食ったのである。

 

 朱家があの恐ろしいかんばつの最後の夏に、どのようにして命をささえることができたのか、朱将軍は思い出してみてもわからない。ただ、ときどきだれかが夜のうちに食べ物を家にはこんできたおぼえがあり、父と叔父のひとりひとりがときどき何日も見えなくなったことも思い出す。多くの農民は土匪化して、遠方に行って掠奪した。朱家の男のだれかが仲間入りしたかどうかは、将軍は知らない。

 

 その年の夏の末から秋にかけて慈雨がふってきて、飢饉がおわった。それまでに、たくさんの自作農がすべてを売りつくして、小作人の境遇におちていた。小作人は苦力や兵隊や地主の雇われ人になっていた。みんな金貨しにかかわっていた。彼らの息子から孫へと、その借金は受けつがれてゆくだろう。