Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

洋学信者になった朱徳 『偉大なる道』第1巻③ー16

 朱将軍が、シ先生が旅人から入手した小冊子を思いうかべたとき、その唇には、あわれみと悲しみが入りまじった微笑がただよった。それは西洋科学の教科書といわれるものだった。シ先生は授業を中止して、生徒といっしょに経典と同じようにほとんどすっかり暗記した。

 

 「それはまったく初歩の本にすぎず、新しい機械を使用する重慶のシャボン工場のことを書いていた」と朱将軍は思い出す。「すごく簡単な、機械の見取り図がついていた」

 

 そのしばらくあとに、朱徳の学友ウ・シャオ・ペイが夏を成都ですごし、本物の西洋学の教科書をたずさえて帰ってきた。それは数学の本で、北京に新設された翻訳局で最初に出したもののひとつだった。そのあくる年も、シャオ・ペイは夏を成都で友人といっしょに勉強し、こんどは数学用具のT型定規、角度計、計算尺をもって帰った。教科書が塾にきたときから、シ老先生は、シャオ・ペイと朱徳を自宅にまねいて、彼の息子といっしょに夜間に研究をすることにした。毎晩ろうそくの灯かげに、3人の塾生と灰色の髭とまばらなひげの老人は、何時間も本の上をのぞきこんだ。

 

「私は、家のものために、支払った学費に見合うだけの勉強はした」と朱将軍はいった。「それで家のものは、洋学を誤解しないようになった。私は熱心な洋学信者になった」