Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

義和団の活動 『偉大なる道』第1巻④ー3

 1年とたたないうちに、新しい流言が、近づく旋風の前ぶれの一陣の風のように、四川の村々を吹きまくった。大湾の本通りに週ごとに立つ市では、だれかが「義和団」のことをなにやらうわさしていた。それを外国人は「ボクサー」と呼んだが、起源は14世紀になる古い秘密結社だった。洋鬼と、キリスト教に改宗した中国人のことをさす洋鬼の「奴隷たち」への、憎しみにみちた悲憤慷慨の声がきこえていた。


 風説は突風のように入ってきた。義和団が、華北と外国勢力のもっとも強い海岸地方で活動しはじめたということだった。袁世凱将軍が、彼の外国の御主人たちの命令によって山東の総督になり、義和団の弾圧にかかってきたということであった。東四川のあちこちでは、洋夷とその「奴隷」をののしる義和団のビラがあらわれた。しかし、官憲は見つけしだいに引きやぶいた。

 

 義和団について朱将軍は次のように考えていた。

 

 「それは、改革運動と同じ土壌から芽ばえたものだが、清朝の反動と専制とたたかう素朴な大衆運動だった。当時、村落経済は破綻していて、国中のいたるところで飢饉がひろがり、1900年には黄河が氾濫して、何百万の人びとが家をうしなった。朝廷はなんら救済手段をとらなかった。人民は、朝廷こそが国の屈辱と迫りくる破滅への責任者だと考えた。義和団のいちばんの弱点は、組織が不完全で指導者にまちがいが多かったことで、そのため簡単に朝廷の反動謀略の手にかかってしまった。つまり、朝廷は、おのれを救うために、義和団を外国人排斥の方に向わせた。

 

 「おぼえているが、四川の小さな村にまで、イギリスと日本の綿製品がどっと流れこんだ。そのほかにも、絹、メリヤス、砂糖、洋傘、台所その他の家庭用品などもあふれた。釘のようなものまで、舶来品が国産品を追っぱらった。輸入された石油が自家用の畑でつくる種油よりも安かった。昔からずっと農村経済の一部になってきた手工業は消えてゆきだした。冬ごとにきていた機織じいさんはもはやうちに顔を見せなかったが、その代わりにくる職人もいなかった。市場でイギリスなどの布を買う方が安くついた。みなは貧乏になってしまっていたから、すっ裸になるまで布も買えなかった」