Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

旧社会にたいする嫌悪 『偉大なる道』第2巻①ー8

 彼は、清朝の下で役人になるということを嫌悪した。というのは、たとえこの地方試験に合格し、さらに省の試験にも合格したとしても、朱家には、彼のために官吏の地位を買うだけの金がない。金を出さなければ、だれであろうと官吏の地位につくことはできない。常人では絶対出せないほどの賄賂を必要とする最上級の試験を受けることはあきらめるとしても、買官の費用は巨額だ。もちろん、彼がこの今の試験に合格すれば、朱家は、どこかの金持ちの家の娘と結婚させて、金を手に入れるだろう。その娘が、文字を知らず、てん足をしていることはほとんどまちがいない。もういままでも、そんな話は聞かされていた。だが、新しい自由の風は中国に吹きまくっていて、青年たちは、国が自由になるまでは結婚しないし、そのときにも、教育を受けた女でなければしないといっていた。昨年、彼は、新しい学生たちからきいたたくさんの高邁な言論が胸にしみこんでいた。たとえ家族のものから、お前はわがままで親不孝だといわれても、頑として一切の結婚話を拒否するつもりだ。

 

 儀隴県でのひと月がたつうちに、成都高等師範学校で体育を学ぶ決心をかためた。いままで家のものをあざむいたことはなかったが、今度はうそを書いた手紙を家に送った。この試験はまちがいなく通りそうだから、これからは成都で省の試験を受ける準備をする段階になるが、これは官費でまかなってくれますと書いた。ただ、ほんの少しばかりの小遣銭が要るだけというわけだ。それで、1年間だけなんとかすごすために、もう一度ちょっと借金をしてもらえば、あとは上級試験を受けるだけだというように嘆願した。

 

 この手紙の返事と最終の試験の結果を待つあいだに、20マイル(32キロ)ほど離れた南部塩井まで遠出した。そこには、西洋の機械があるそうだ。新しい機械というものを見たことがない彼にとっては、またとない機会だった。


 何人かの受験生といっしょに、南部に歩いて行った。新しい機械はなかった。その代わりに、何千という病みおとろえた塩井労働者が、明け方から夜まで、昔ながらの奴隷労働の制度に契約でしばりつけられて、苦役していた。身体の半分あたりの腰布以外は、まっ裸で働いていた。彼らの身体が黄色いのは、マラリアか黄疸なのだろう。足にも脚部にも、うみのふき出る大きな傷がついていた。多くのものが、うつろな、肺病の咳をしていた。彼らは、ある期間、請負業者に身を売っているのだ。業者は、労働をつづけさせるだけのギリギリの食べ物しか与えず、暗くて毒虫だらけの小屋に寝泊りさせていた。そのころ、労働者のための医療施設なんてことは、聞いたこともなく――「いや、今でも」と朱将軍はつけ加えた――それから、労働組合などは、もし彼らがそんなことを夢見たとしても、破壊的犯罪行為として弾圧されただろう。