Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

立憲君主派と共和派の教師たち 『偉大なる道』第2巻②ー3

 朱徳はまじめな学生だったが、そのうち、自分の学業課程よりも国事について熱心になった。しかし、猛勉強はつづけていて、とくに、偽弁髪の教師たちが自分の講義を活気づけながら、「自由平等」や「旧制」の非について宣伝することに耳をかたむけた。だが、この教師たちは、新改革の規模があまりにも制限されていてなまぬるいと批判はしたが、清朝に反抗する言葉を口にするところまではいっていなかった。

 

 立憲君主派の教師たちは、共和派よりも言論の自由を大幅にもっていて、学生のあいだでは彼らに共鳴するものが多かったし、彼らのまだ半ば秘密の機関紙『四川日報』のことすらも、かなりおおっぴらに話すことができた。

 

 「同盟会」員、つまり共和派は、完全に秘密裏に行動しなければならなかった。高師内にながれている噂では、「同盟会」員の教師が3人いて、そのひとりは張瀾博士だということだった。張瀾先生は、以前は朱徳が1年学んだ順慶の新学校で教えていた人だ。この人が、1911年の革命に主要な役割を演じ、さらに第二次世界大戦のときには、老齢にもかかわらず、「中国民主同盟」を人びととともに組織し、会長になった。

 

 地下の「同盟会」に加入しようとするものは、会員2名が保証人になることが必要で、入党の式では、主義への忠誠の血の誓をしなければならなかった。朱徳は、保証人になってくれる会員をさぐりあてようといろいろやってみたが、せいぜい小さな『民報』という新聞を手に入れただけで、しかも、だれかが寄宿舎の彼の枕の下に差しこんだものだった。新聞は無数の手から手へとわたってきたので、多くの活字が部分的に消えてしまっていた。内容は、立憲君主派を攻撃し、新改革は、「腐敗している清朝を擁護するための憎むべき詐術だ」というものだった。朱はその小新聞を何度も読みかえしてから、ほかの学生の寝床の中に差しいれた。