Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

高等師範での一年 『偉大なる道』第2巻②ー4

 成都には、いくつかのキリスト教のミッションスクールがあったが、朱徳と学友たちはそこの学生を「洋夷の奴隷」とさげすんでいた。そこの学生たちは、孤立したせまい世界に生きていて、国事には関心をもたないで、自分の霊魂や来世のことをもっぱら気にかけていた。彼らは、現世の美食を満喫しようとがつがつしていた外国銀行、商社、伝道機関のために働けるように訓練されていた。そして、祖国をうしなった男女であり、自らの説くことを実行しようなどとはまったく思っていない外国帝国主義者たちに対して、もうひとつの頬を出すようにしつけられていた。



 高師に入った朱徳が最初にしたことのひとつは、実験を参観することだったが、その学校の自慢は、一つだけの顕微鏡と人骨をもっていることだった。人骨は外国からもってきたものということだったので、冷ややかに、そして興味ぶかく見つめた。また学校には何枚もの地図が壁にかかっていて、彩色された地球儀もあり、かなり注目の的になっていた。体育科のある教室には、外国の陸戦や海戦をえがいた大きな色つきの図版がかかっていた。朱徳はそれらの図版をきわめて熱心に、何度も何度も穴のあくほど見つめたので、32年後のいまも隅々まで話すことができる。しかし、学校には教科書はなかったので、教師たちはここでも、記憶にもとづくか、海外留学中のノートを使って教えるしかなかった。

 

 成都は新しい伊吹でわき立っていた。新しい官吏群は郷土の生産業を奨励し、工業や手工業を促進しようとした。新しい絹糸工場、綿紡工場、造幣廠、兵器廠などすべてが、近代的な機械によって操業された。朱徳と同郷出身の4人の友はグループをつくって、外国製機械を見ようとそうした施設をあちこちたずねまわったが、どこへ行っても追いかえされ、彼らは壁の外に立って、機械がうなる音をききいることぐらいしかできなかった。