Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

成都の高等師範体育科卒業 『偉大なる道』第2巻②ー5

 朱将軍によれば、都市がこのように繁栄した一方では、地方は相変わらず昔ながらの暗い生活をおくり、改革の諸施設のための税金の重荷でよろめいていた。郷紳階級はどこまでも怠惰で、進歩に反対していたが、いまやいっそう貪欲になって、官位職権を買って、あらゆる税を人民にかけてくる力を手に入れた。街を歩くときなど、朱徳はたまに叫びをきいた。

 「大人(たいじん)のお通りだ。道をあけろ!」きらびやかなかごが、新たに任官した郷紳をのせて、威風堂々と馳せすぎるのだった。

 

 それから征服民族の満州族がいて、成都の北西部の特別満州族区域に住んでいた。中国人は、殴ってもらいたいと思わないかぎり、わざわざそこに入ってゆくものはいなかった。中国人は過酷な労働をするが、満州人は政府から生涯にわたって年金と米穀をもらうことになっていた。なかには少し働く満州人官吏もいたが、この征服民族の絶対多数は仕事は一切せず、彼らの区域をきれいに保つことすら、手をつけようとしなかった。彼らは、一日中中国人区域にある茶館ですわっていた。みなが、彼らの貪食(どんしょく)ぶりをにくんだ。

 

 楽しかった1年がすぎ、朱徳は卒業した。このあいだ、5人の親友を得た。そのうちのチン・クンは成都の読書階級の子であり、ほかの4人は朱徳の郷里儀隴県の進歩的な家の子だった。この儀隴県出身の4人は本科を卒業したばかりで、故郷の町にはじめての近代的学校をひらく計画をたてていた。彼らは、朱徳が自分たちの仲間に入って体育を受けもってくれることを希望し、年棒を1万2千文、つまり国幣でほぼ120元を出すといった。朱徳はよろこんで承諾し、開校までには儀隴県にかけつける手筈をきめた。