Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

封建勢力からのいやがらせ 『偉大なる道』第2巻②ー11

 朱将軍がいうには、この戦線はまもなく「旧式学校から、家庭や町の通り、商店、茶館、寺へと広がっていった。私たちは、人間の屑で、いうにいわれない理由で結婚もしないやつだといわれた。召使の女のようなものたちまで、道で私たちを見ると逃げ出し、男たちは立ちどまってにらみつけ、子どもたちは石を投げてきた。

 

 「私たちの生徒の家族は、大変な勇気と努力で私たちを守ってくれた。そして、父親や祖父たちが、かわるがわる私の体育の授業を見にきた。世間にむかって、生徒らはすっ裸にはならず、ズボンとシャツをつけているし、生徒はすべて、外敵や病気にかかってたおれないように、身体を鍛えるべきだといってくれた。また彼らは、ここの先生たちが出た学校は州総督が建てたものではないかと主張した。

 

 「だが、だめだった。1907年の暮れまでに、学校は一時閉鎖され、教師たちは知県の前に引き出され、私は卑猥なことを教授したと責められた。教師仲間や保護者たちもすべて私を守るために立った。

 

 「そのときはじめて、私は公衆の前で演説した。何をいったかはよく憶えてないが、とにかく私の教育法について説明し、成都の学校でおそわったとおり、体育競技の意味について話した。この体育は、学生の健康を保ち肉体を強めるために、あらゆる新学校で採用されている、と説明した。外敵はしばしばわが国をうち破ったが、わが国は彼らのように強くなければ、インドと同じ運命をたどるだろうとも私は説いた。

 

 「裁判に勝って、再開校したが、封建勢力はすぐに、私たちが学校の基金をごまかしていると法廷に訴えた。進歩派は、こんども私たちの側に立ってたたかい勝った。すると、こんどは、私たちが弁髪を切り落として、にせものをつけていると訴えた。これは朝廷への反逆ということになる。私たちは、その訴えがまちがっていることを証明した。