Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

家族からの追放 『偉大なる道』第2巻②ー14

 家は、これから彼の送金を頼りにすることができなくなるので、朱徳は、成都に向かう前に帰郷して事実をつげようと決心した。家族たちは、恥をおそれて、息子が軍隊に入ることは隠しとおすことはわかっていた。彼は、雲南軍官学校を出て俸給をとるようになり次第、ふたたび家の借金払いを助けるつもりだ、と約束することにした。

 

 1908年の12月のはじめ、家に向かった。「たった一晩家に泊まっただけだ。だが、その一晩が精いっぱいだった」と朱将軍はいう。「これから新軍隊に入りにゆくといったとき、みなは私が正気をうしなったと思った」体育などという野蛮な科目の教師になったというだけでもただごとではなかったが、世の屑の仲間入りをするなんて、彼らに我慢できることではなかった。彼らはそれでもはじめは優しくしようと努力して、しばらく家にいて頭を休めたらどうかとやさしくすすめた。というのは、みなは、彼はあまりにも本を読みすぎて気が変になったと信じたからだった。しかし、彼が、まったく正気ではなしているし、中国を満州人と外夷の制圧から解放するために生命をささげるつもりだ、ときっぱりいったとき「反応は、恐ろしかった。ほんとに恐ろしかった!」義父にとってすら、最後のとどめになった。朱が成都に向けて出発したとき、別れのあいさつに出てくるものはいなかった。彼は、あらゆる扉と家族から締め出された追放者として家を出た。

 

 「こわかった。ほんとにこわかった」と朱将軍はいう。「しかし、私は自分の道を選んだのだから、あとに引くことはできなかった」