Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

鉄路借款への国民的反感 『偉大なる道』第2巻③ー12

 「広東蜂起は、のろわれた鉄路借款をとどめようとする最後の努力だった」と朱将軍は説明した。それは1911年の3月末か4月はじめに起こることになっていた。世界のいたるところから、数百人の同盟会指導者たちが3月に広東に集まりはじめ、孫逸仙は、海外の中国人から募った資金のすべてをつかって、この最終闘争のための武器弾薬を買った。計画は、万端の準備がととのう前に発覚したので、革命軍は準備不足のまま広東で戦いをはじめなければならなかった。広東の新式軍隊は彼らとたたかうために差し向けられ、数時間の激戦のあとに、革命軍はむざんな敗北をくらった。たちまち、主要な指導者72人が戦死し、数百人が負傷し、他は命からがら逃げた。

 

 「惨敗だった。この悲劇は国中の革命勢力に衝撃をあたえた。やっとそのときに、同盟会は心の底から、新式軍隊の兵士の間に真剣な政治工作がすすめられなければならない」とさとった。やっとこの悲劇によって、そういう政治工作が全国的にはじめられた。

 

 「われわれは大敗北をくらったのだが、鉄路借款への国民的反感はとてもはげしいものだったので、北京政府と外国人は、6週間後に秘密裏に締結した。借款の協定の中心人物はウイラード・ストレイトというアメリカ人で、アメリカの四大財団を代表していた。中国側の中心協定者は交通大臣盛宜懐といい、もっとも悪名高い官僚のひとりで、中国は彼を『嘘と腐敗の親玉』という名でしか呼ばない。借款が秘密裏に結ばれたばかりか、政府は鉄路の中央統轄を声明した……。それは、いかなる中国人も政府の認可がないと鉄路を敷くことができないということだった。そして政府は、外国の金貨しに対して完全に屈服していた」